話しが長い人の特徴・心理
この人、話しが長い、長い、長い、長いなぁ~。
と、イライラして感じる時があります。
私の感覚では、なぜ、長く、長く、話されるのか、よく分からないのですが、その心理は何か。
今回、5点考えました。
1 自己顕示欲 自慢
2 快感 自己制御力の欠如
3 人を楽しませたい
4 自分が話さないといけないと思い込んでいる 対話とは何か
5 自己正当化 回りくどく説明等が長くなる
自己顕示欲 自慢
自己顕示欲の強い人は、自分を示したい、認めさせたい心理が働く方が多く、そのため、自分の話しに熱が入り、話し過ぎる傾向があります。
自己顕示欲そのものが悪いとは思いません、私にもその傾向はあると思います。
但し、注意するべきことは次の1点。
自己顕示が強すぎ、人を馬鹿にしたように話していないか。
自分では意識していなくても、あまり自慢が多すぎると、人格を疑われます。
傲慢と捉えられるかもしれません。
また、人とは他者の自慢話しを延々と聞かされると、苛立つものです。
それは、飽きてしまっている話しを延々と聞かされ、さらには、その人自身にも飽きてしまう。
そもそも、人とは他者の自慢話しは、聞きたくないと私は思っています。
私が偏屈なのでしょうか?
人は他者の話しを聞く時、自分を意識して聞きます。
これは、他者の自慢と、自分自身の状態を比較しながら聞く、無意識の心理です。
そして、あまりにも自慢話しが続くと、自分がバカにされているような気持ちにもなり、いい加減に嫌になってくるのです。
強すぎる自己顕示欲と長い自慢話し、嫌われるかもしれません。
快感 自己制御力の欠如
人によっては話し続けると、自分が話していることに酔い、話しが止まらない方もおられます。
おそらく、この時、脳内にて何らかの快感物質が放出されているのではないかと思いますが。
また、上述した自己顕示欲、自慢を基に長話が止まらない人も、同じ傾向があるのかもしれません。
しかし、脳内の快感物質放出により話しが止まらない、相手がどう思っているか、気にせず話し過ぎるということは、脳機能による自己制御力が弱まっているのかもしれません。
したがって、自分では話し過ぎていることも気付かず、止められない。
しかし、話し終わって数分後、ふと我にかえり、自分はまた話し過ぎしまったと、後悔されているかもしれません。
おそらく、この方は長話と後悔を繰り返されておられることでしょう。
それは、脳機能による長話に対する、ブレーキが効かないためです。
自分に長話の傾向があり、制御不能の状態になるのでしたら、常に話している時間を意識、自分が話す時間を仮に3分と決めるのであれば、時間が3分たったところでひと息、話しを止め、冷静になり、相手に話しを振る等、それなりの努力が必要でしょう。
人を楽しませたい
人を楽しませたい思いから、ついつい話しが長くなる。
皆が笑顔で、長話を楽しまれているのであれば、それはそれで、いいことかなと思います。
楽しませたいという動機は大切ですが、常に話しを聞いている方の反応だけは注意しましょう。
相手が退屈そうな顔をしていないか。スマホをしていないか等。
話し過ぎの暴走にならないように注意しましょう。
私は楽しい話し、相手を楽しませる話す才がないので、楽しく話される方の才を、時に、うらやましく感じる時があります・・・。
自分が話さないといけないと思い込んでいる 対話とは何か
対話とは何でしょうか?
最小単位として、2人で行うものです。
(自問自答を除き)
しかし、対話において、なぜか、「自分が話し続けないといけない」と思い込んでいる方もおられます。
ここには、自分が退屈な人間と思われたくない心理、沈黙を恐れる心理、また、対話とは何か、コミュニケーションとは何か、そのスキルが弱いのかもしれません。
したがって、自分が話し過ぎることになってしまうのです。
しかし、この方の長話は、そもそも、自分が相手からどう思われている等の不安を隠す動機があり、実は長話のスキルも得ておらず、したがって、話し終わった後は、話す事に時間だけ長く使った、支離滅裂な状態となってしまうことがあるのです。
対話、コミュニケーションは何のためにあるのか?
考えてみてください。
また、不安を隠すための動機よりの長話しでしたら、カウンセラーと相談するなり、対話を学ぶなり、対応、対策が必要かもしれません。
自己正当化 回りくどく説明等が長くなる
他者への説教、叱責、またはミスの弁解等を行う時、多くの人は、相手がどう思うか、怒りをかうのではないか、嫌われるのではないか等の不安を感じます。
その不安に対して、自分は言いたくて言っているのではない、あなたのためを思って言っている、自分はさほど悪くない等の心理が働き、相手に対する説明の事柄の1つ、1つ、が回りくどく、話しが長くなる時があります。
自己正当化です。
しかし、本人も言いたくて言っているわけではなく(説教、叱責、弁解)、実務、業務上、その役割を果たすために行っていることが本心であり、言いたくないのに、話したくないのに役割上、職責上言わされていると内心感じており。
この時点で、役割に対する反発の心理も働き、攻撃的な口調になる事は珍しくはありません。
自己正当化と、やりたくないことを、やらされている反発からくる、攻撃の心理です。
したがって、この方の言動は、まわりくどく、攻撃的な口調で接することになります。
しかし、説教、叱責、弁解を、回りくどく話しますと、聞いている相手は苛々してくるでしょう。
そもそもが、楽しい話ではく、特に説教、叱責は自分が一方的に責められている状態です。
いい加減に解放してくれと、耐えて聞いておられるかもしれません。
また、弁解も、まわりくどく、ダラダラと話されると、自分は悪くないことだけが強化され、事象に対する弁解は発せられれず、何が言いたいのか分からないとなり、やはり、聞いている方はイライラしてくるものです。
説教、叱責、弁解等を行う時は、要点だけを率直に話されれば良いかと思います。
以上、長く話す心理について、5点書かせて頂きましたが、いずれにせよ、一方的に話し続けられますと、聞いている方が、イライラ、飽きてくる時が多々あります。
長話そのものがいけないと書く気はありませんが、もし、長く、長く話されるのでしたら、聞いている方の気持ちも配慮して話されることが、一番重要だと思います。
そして、対話、コミュニケーションは、皆にその権利があるのだと、意識しましょう。
時間を共有することです。