話せないのか 話さないのか

以下の文章は、私のコミュニケーションの経験も踏まえて書きます。

人は会話、話すことを積み重ね、人との関係性を築き、発展させていきますが、中には、話さない人もいます。
話せないと人間関係を築くことが難しく、人の輪から外れてしまい、疎外感、孤独を感じる時があります。

かつての私もそうでした。

では、話さない人は、なぜ、話さないのでしょうか?

そのことについて、次の3点のポイントから書きたいと思います。

1 話したいけど話せない
2 話せない
3 話さない 意思に基づく

1 話したいけど話せない

話したいという思い、意思はあるのですが、話せません。
話すことを恐れ、話すことを怖がっているのでしょうか?
過去、会話において、もしくは人との関係性において、人に対して不安感を抱くような出来事を体験しているのでしょぅか。

または、自分が話すと、否定されることへの恐れもあるかもしれません。

話したいけど話せない。

おそらく、過去、会話をした経験はあるけど、そこで嫌な体験をし、その結果、話すことへの不安が高まり、本当は話したいのだけれど、話せないという、心の状態になったのではないかと思います。

また話して、嫌な思いをすることは誰でも嫌でしょう、避けるでしょう。
心が傷ついているのに、さらに傷つきたくない。

私の場合、話したいけど、話せなかったという記憶はあまりありません。
たぶん、人生の早期(子供時)に、話すこと、会話すること、意思表示することより、自分を理解してもらうこと、分かってもらうことを諦めたのだと思います。

私の場合は、以下の、話せない、話さないが強かったと思います。

2 話せない

話せない。
どのような問題が生じて、話せないのでしょうか?

a)脳機能の問題
話す、会話機能、コミュニケーション能力機能に問題があるのかもしれません。

脳機能の問題となると、あまり使いたくない言葉ですが、精神疾患となるでしょう。
例えば、家族とはよく話せるのに、学校ではなぜか話せない、場面緘黙症かもしれません。
これらについては、精神科を受診してください。

精神疾患であっても治ること、寛緩する可能性はあるでしょう。

b)話すことへの緊張、自己評価を気にし過ぎる等

また、人によっては話す能力はあるけど、焦り、緊張から頭が真っ白になって、自分が何を言っていいか分からない。
だから話せないという方もおられます。
話すことへの緊張感が高いのでしょうか?

または、話した後、自分がどう思われているか、自己評価を気にし過ぎて、心理的に自己萎縮を引き起こし、話せない状態に追い込まれている可能性もあるでしょう。

私の場合は、小学生時高学年時より徐々に自己主張が出来なくなり、話せなかった。
その原因の大きな要因として、親ともほとんど話さず、友人とも遊ばなかったので、話すスキル、社会性の能力が培えなかったのだと思います。

何をどう言って、伝えて、いいのか分からなかった。
また、心の中では、どうせ話しても分かってもらえない。
話すこと、伝えることに対して、諦めの気持ちも芽生えていたように思います。

親子関係における継続する会話の無い結果、このような心理状態になってしまったと理解しています。
何を言っても、否定、罵倒、理解してもえなかった。
また、私が何かを伝える前に、親があれこれ私に、私に対する希望を伝えてくるので、私が私の気持ちを伝える場がなかった。

本当は聞いて欲しかったのですが、聞いてもらえず、逆に否定ばかりされてしまっては、親との会話じたいが嫌となり、話せなくなってしまったのです。
これも、心理的な萎縮でしょう。

親子間において、このような状態が続くと、学校においても徐々に、自己主張しない、おとなしい子となり、あまり話さない子となっていったのだと思います。
どうせ、話しも分かってもらえないだろう、失望の気持ちが強く、無機質、無感情的な青年へと成長、話すのが面倒臭く、成長するにつれ、話せないから、話さないと徐々に移行していきました。

中学生までは、そうでした。
話せないから、話さないへの移行期間。

その他、私の過去においては経験していませんが、現代の闇、学校でのいじめも、自己抑圧、自己萎縮、他者恐怖、どうせ助けてもえらない、訴えても分かってもらえない等の諦めの心理から、話せないという状態にもなるでしょう。
また、親に対していじめられている、「助けてのSOS」を出すことは、親を心配させることにつながると考え、話したくても話せない状態に陥るかもしれません。

3 話さない

話さない。

私にとって、この言葉のニュアンスは、自分の意思によって、「話さない」。
「話すものか」。怒り、憎しみの気持ちが含まれています。

話さない対象は、すべての人なのか、ある特定の人なのかは、人様々。

私の場合は16歳頃時。
両親とは話さないと、強く決意しました。
話さない。

私がそこまで強く決意をしたということは、そこまでに至る人生の経緯において、親からの様々な嫌な思い、嫌なことを強制され続け、否定され続け、とうとう我慢の限界を超えてしまったのでしょう。

幼児期から私を否定、理解しない、話したいけど話せない関係性の親。
その後、どうせ言っても無駄、傷つけられるだけ、話す気もなく、だから話せない。
(理解してもらうことはすでに諦めており、話したいけど話せない記憶は、さほどありません)。

そして、青年期に至っては、今までの親との様々な確執が怒りとなって表面化、生涯、話さないと、決定。

しかし、不思議なもので、親と「話さない」と自己決定して以降、高校、大学、特に大学時は誰とも話さなくなってしまった。

そして、幼児期、子供時より話すスキルも弱く、人間関係を築く力も弱い私は、青年期以降、大学で誰とも過ごさず1人で居続ける(今でいうボッチ)ことにより、「話すスキル、話す能力」が欠落した青年となり、23歳以降、会社入社後、これら能力の獲得、話す能力、人間関係を築く能力を、会社において、仕事を通じて学ぶことになったのです。

また、高校、大学時を振り返ると、「話せない、話すスキルのない自分」を、誰とも話さないと強い意思を持つことにより、話せない自分を正当化、守っていたように思います。

当時の私は常に怒り顔でムスッとしており、人を近づけまいと、意識していました。
これも、話せない自分に対する自己防衛。
話さないぞ、近寄るな、この雰囲気をまき散らして、他者を寄せ付けず、自分を守っていたのでしょう。

さて、自分の人生振り返ってみると、「話す、会話をする」その基は、親子関係、そして、幼児期、子供時の友達関係も大きく影響するのではないかと思います。
(脳機能に問題のない場合、特定の疾患がない場合)

私は今でもおとなしい方だと思います。
活発に活動するタイプではないでしょう。
社交的ではありません。

しかし、伝えるべき事、言うべき事は出来ます。
聴くことも出来ます。

ものすごく遠回りをして、話す力、コミュニケーション能力を身に付けたような気がしますが、私の人生は、そういう経験をするようになっていたのでしょう。
すべては必然。

ちなみに、私が人と話せる自分になったと思った年齢は、37歳です。
14年間、勤務した会社を辞めた後の、様々な体験を通して、培ったように思います。

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