本当に親は子供の心を傷つけるつもりだったのか
今までアダルトチルドレンの親子間の問題についていろいろと書いてきました。
私はアダルトチルドレンの問題の根底は親の未解決の問題から生じていると思っています。
しかし、ここで考慮しなければならないのは、親は子供を苦しめよう、生き辛くしてやろうと思って子育てをしたかどうかです。
作為的にそのようなことをする親は、虐待を除けばいないのではないでしょうか。
親は良かれと思って子供に接して、知らず知らずのうちに子供を傷つけてしまう。
これが真実ではないでしょうか。
ところが、この良かれと思う考え方の背後に親自身の未解決の問題があったり、良かれと思ったことを伝えるため、または、行動促進のための言動、態度に未熟さがあるのです。
例えば、高学歴、一流企業就職が人生で一番大切なことと、思っている親がいるとします。
この考え方の背景には、親のその親の教育による、一流でなければ人間価値がないといった価値観の植え付けがあったのかもしれません。または、親の親が子供を誉める時は、テストの点がいい時だったのかもしれません。すると、テストの悪い子は価値がないという意識を勝手に持ってしまいます。
または、自身の劣等感として学歴職歴に自信がなく、子供に高学歴をつけさせ、その学歴を他者に自慢したいために、そのように振る舞っているのかもしれません。
そして、子供に勉強をさせるために「テストが悪いとお小遣いをあげない」「もっと勉強しろバカ」「テストの点が悪いと叩く」等問題のある言動、行動を取っている場合もあるのです。
しかし、いずれにしても親自身がこれら内的動因や問題行動に気付くことはなく、子供のために良かれと思ってそのように振る舞い教育しているのです。これは事実です。
アダルトチルドレンの方は親の態度や言動のために自分が問題を抱えてしまったという認識の基、直接親を責める行動に出る方もおられるのですが、これをしても何の問題解決にもなりません。なぜなら、親は親なりに精一杯のことをしたと思っているからです。
子供に暴言を吐いたり、人格を無視したような叱り方をしたり、日々干渉し続けたとしても、それは子供の幸せのためにしたと信じているからです。
そして、このような言い方や振る舞いをすれば、子供が傷つくとは理解出来なっかたし、今でも理解出来ないでしょう。
アダルトチルドレンの親には問題のある考え方や、行動パタ−ンがあるのですが、結局親自身、その親より問題のある育てられ方をされている確率が大変高いのです。
アダルトチルドレンの親がその親から歪んだ育てられ方、歪んだ価値観を植えつけられ、それを当然のものと受容して引き継いでいるので、それに異論を唱える子供(アダルトチルドレン)にいては理解出来ないのです。
言葉を変えると、アダルトチルドレンの親はその親よりの世代間連鎖によって、親自身がアダルトチルドレンであるということです。
しかし、親自身はアダルトチルドレンという言葉も知らないし、ある程度年齢が経ってしまった今、自身がアダルトチルドレン、すなわち傷ついた子供時代を過ごし、その傷を持ったまま大人になった、または親に認められるために自分を犠牲にしたその方法で今も生きている、これらの事実については認めることはなく否定されるでしょう。でないと、自分自身の半生が一体何であったのか、強烈な喪失感に捉われるかもしれないからです。
今でこそ、心理学の時代です。自己分析、過去を振り返るワ−クやセミナ−、そして様々な心理関係の本が出版され、カウンセリングも日常となり、自分自身を振り返る場が多々あります。
しかし、私たちアダルトチルドレンの親にはそのような自分自身を振り返る時代がなかったのです。そういった場がなかったのです。
生き辛さを感じてもそれを当たり前のものとして受容したでしょう。当たり前と受容したからこそ、それが当然であり、その当然を子供に伝えているに過ぎないのです。
ですから、私たちアダルトチルドレンは親を責めても何ひとつ得るものがないのです。彼らにしてみれば当然の考え方、価値観の基づいて行動しているだけであり、それ以外に道がなかったのですから。それ以外に方法を知らないから。それ以外について学んでいないから。
このページを見られている多くの方はアダルトチルドレンの方々と思います。
今、自身をアダルトチルドレンと気がついた私たちがなすべきことは何でしょうか。
それは、私たちが親から伝承した生き辛さの基である、価値観、考え方、行動を自分たちの子供に伝えないことです。
私たちは自分自身を振り返る権利を行使して、その責任に基づき、生きやすい新しい価値観、考え方、行動を創造して、それに基づき子供を育てるのです。
そして当然私たち自身が何よりも生きやすくなることは言うまでもありません。
アダルトチルドレンの世代間連鎖の流れにくさびを打ち込み、流れを止めるのです。
それが、私たちアダルトチルドレンの責任なのかもしれません。