自己不信・自分を信じられない
「自己不信」という言葉があります。
この言葉の意味は、2つに分けられると思います
1 自信がない
2 自分を信じられない
言葉を2つに分けましたが、「自信がない」。
まず、「自信がない」とは、特定の何かにチャレンジする際、それを達成来るかどうか、分からない。
特定の何かにチャレンジ、達成、結果を出すことに対して困難さと不安を感じ、その事に対して自信がない。
このような意味合いで、「自信がない」という言葉を使われることは、よくあると思います。
それでは、次の「自分を信じられない」。
この言葉は、どのようなニュアンスを持つ言葉なのでしょうか?
「自分を信じられない」という言葉は、「自信がない」という言葉に対して、より広範囲、漠然とした、言葉のような感じます。
「自信がない」、この言葉がある特定のことに対して、自信を持てないにことに対して、「自分を信じられない」という言葉には、自分は何をやってもダメ、どうせ何も出来ない等、自分に対して諦めの心境を感じます。
特定のことに対するチャレンジに対する、「自信がない」、という以上に、「自分を信じられない」という言葉には、生きることに対して、何を信じて良いのか分からない、無意味感すら受けます。
そして、もし、「自信がない」という言葉も、特定の何かに対して、「自信がない」と感じるのではなく、漠然と全ての事柄に対して、「自信がない」と言葉を使われると、そこには、「自分を信じられない」と同義の言葉、ニュアンス感じます。
特定の何かに「自信がない」ということは、誰にでもあることだと思いますので、今回は、「漠然とすべての事柄に対して自信がない」、及び、「自分を信じられない」。
これらを「自己不信」と解して、その原因と解決策(案)について書きたいと思います。
漠然とすべての事柄に対して自信がない・自分を信じられない 原因
親の養育の問題 一定感のない養育
子供とは、親に認められ、褒められて、自信をつけていきます。
そして、自分はOKという感覚も、同時に培われるでしょう。
しかし、子供のある1つの行動に対して、親の評価態度が一定せず、褒めたり、けなしたり等、ダブルバイドのメッセージを子供に送りますと、子供は何をどうすれば良いのか分からなくなり、混乱をきたします。
この時、同時に何をすれば自分は認めてもらえるのか。
なぜ、同じ行動を取っても親の態度は常に変わるのか、自分の何が悪いのか、自分に対する疑問の気持ちを抱き、親の態度が一定、安定しないのは自分に問題があるからだと考え、自分を信じる心が培えず、漠然と自信がない、自分が信じられない、自分に対する猜疑心を抱くのではと考えられます。
親の養育が厳しすぎた
親が子供に高い期待をして、それが達成出来た時のみ子供を認める養育を行うと、子供は親に認められ、褒められる機会が減少します。
子供の自信とは、親の認める、褒めることより、培われますので、親の高い期待を達成した時のみ子供を認めることは、子供にとっては高い親の期待を満たすことは難しく、当然、子供は「自分は親を喜ばせない、親を満たすことが出来ない人間」と、みずから自分自身に、NOのレッテルを貼ってしまいます。
これでは、子供は自信がつかず、「自分は何も出来ない人間等」勝手に思い込み、自分が信じられない、自分を信じられない、「自己不信」の悩みを抱え成長するかもしれません。
子供時に達成感を味わえなかった
達成感、やり遂げた感は、自分は出来るという自信につながります。
しかし、何らかの理由で、子供時より何ひとつ達成感を味わった経験がないとすれば、どのような成人になるでしょうか。
達成感、やりとげた感を味わうには、自分自身が目標に対して真剣に取り組み、あきらめないことが肝要となってきます。
しかし、子供時、青年時より、何事も途中で放り出す性格特徴、及び家庭環境であったとすれば、自らやるべきことを放棄、諦め、最後までチャレンジし続けなかった、その自分を自分が信じられないという感覚は納得出来ます。
完璧主義
完璧主義の弊害については、本ホームページにおいても何回か書いてきました。
高い目標を完璧に達成することは、困難です。
その目標を達成出来ないが為に、自分はダメ、NOと思い込み、自分を信じることは出来ないと決めつけるのは、自分に対して厳し過ぎるのではないでしょうか。
そもそも、達成困難な目標を掲げ、完全に達成することは、スーパーマンになるのが必定。
完璧でなければならない、その思いは不要なのです。
全てにおいて完璧な人等、この世に存在しないのです。
騙された経験
人から騙された、裏切られた いじめられた。
これらは、心の傷となります。
この場合、騙した、裏切った、いじめを行った他者に問題があり、他者不信、人を信じられなくなることが一般的のように考えられると思いますが、人によっては、自分が愚かだったから、人を見る目がなったから、自分に問題があっていじめられた、騙されたと、自分を原因として、自分が悪いのだと考え、「自己不信」に陥られ場合もあります。
本当は自分の問題ではないのに、自分が自分に、問題の原因を自分にすり替えられるため、根拠がなく自己価値も低下、そして、漠然とすべての事柄に対して自信がない、自分を信じられない問題へ発展する場合もあります。
さて、以上、漠然とすべての事柄に対して自信がない、及び自分を信じられない問題の原因について書いてきましたが、基本的に「自己不信」の方は、対人不信の感覚も強くお持ちであり、また、自己不信感の生き辛さより何かにすがろう、依存とようとしては、裏切られ、見捨てられる経験をされることもあり、「一体、何を信じていいのか分からない」、「自己不信」から対人不信、社会不信の問題へ発展する場合もあります。
漠然とすべての事柄に対して自信がない。自分を信じられない 解決策(案)
以下に、漠然とすべての事柄に対して自信がない・自分を信じられない問題に対する、解決、脱却法を簡潔に書き示します。
自分を認める 褒める
子供時、親から認められず、褒められなかった方は、自己価値の低さの問題がその背景にあります。
自己価値を上げるためには、自分が自分を認めること、褒めることです。
その為には、自分を認める、褒める言葉をノートに書いたり、口に出し、自分はOKと、自分が自分に言い聞かせることが有効です。
他者からの褒め言葉を、純粋に受け取る
「自己不信」の問題を抱えられている方は、自分を信じられないため、他者も信じられない、他者不信の問題を同時に抱えられていることが多いと思いますが、他者からの褒め言葉等、頂いた時は素直に受け取り、これを自分に言い聞かせることも有効かと思います。
なぜなら、他者に褒められるということは、それだけのことをされたのですから、他者評価は自分価値を上げ、「自己不信」を払拭する機会でもあります。
チャレンジ
漠然とすべての事柄に対して自信がない、自分を信じられない問題を抱えられている方は、今までの人生体験において達成感、成功感を味わったことが少ない方もおられると思います。
いきなり高い目標設定をしても、達成は難しい(誰でも同じです)。
まずは、少し努力すれば達成出来そうな目標設定を行い、それが出来れば、次の目標設定へチャレンジと、段階的にチャレンジ目標を設定・遂行、これにより今まで味わえなかった、達成感を味わうことにつながるのではないでしょうか。
達成感、成功感は、感覚的に自分を信じる根拠へとつながります。
暖かい人間関係を築く
「自己不信」で悩まれている方は、他者を信用、信頼出来ず、社会も信頼されいないことも多いと思います。
したがって、逆説的となりますが、まずは、人と知り合い、暖かい人間関係を築き、その中で自分が認められる体験をすることは、自分にOKを出すことが出来、「自己不信」を解決、脱却。
すなわち、他者からの承認が、自分自身に対する肯定感を上げ、「自己不信」の問題への解決に導くことはあると思います。
自分に正直になる 謙虚さと素直さ
「自己不信」の方は、対人不信、社会不信の問題を同時に抱えておられる方も多いと思います。
そうなると、対人関係における態度は、何かひねくれた、とんがったような態度を取ってしまうことも考えられます。
その根底には、「到底自分の事は理解してもらえない」といった対人不信があるのでしょうが、
果たして本当にそうでしょうか。
そのことを証明出来ますか。
前述しましたが、暖かい人間関係を築くことは、「自己不信」からの脱却には有益であると、私は考えています。
したがって、人に対して敢えて不快感を抱かす振る舞いをされているのであれば、今すぐやめられた方がいいでしょう。
人に対するひねくれた、とんがった態度は、他者を不快にし、あなたの現実。
「到底自分の事を理解してもらえない」、その想いを現実化するだけです。
私は、「自己不信」で悩んでいる方は、他者を信頼したい気持ちをお持ちだと思っています。
そして、自分を受け入れて欲しい気持ちをお持ちだと思っています。
そのためには、自分のその気持ちに正直になり、それにふさわしい態度を取ること。
そして、謙虚さと素直さを持つことは、人間関係を築くうえでは大切ではないかと思います。
以上、私なりに、漠然とすべての事柄に対して自信がない。自分を信じられない、「自己不信」の悩みに対する解決策案を書き示しました。