あだなのなかった私 子供時
私は子供時、あだなはありませんでした。
小学校~大学生まで。
あだなとは、新名解 国語辞典 三省堂によると
「その人の性行、特徴などをとらえて、他の人が・批評(仲間うち)的な意識で付けた呼び名」と規定されています。
あだなとは、他者からの否定、批判的な要素が高いような気がします。
例えば、ブタ、ハゲ、脳たりんの〇〇君等。
あだなとは、このように書くと、言葉のいじめのような気がします。
で、私はあだなはありませんでした。
あだなのなかった私は、心に傷を負うことはありなせんでした。
しかし、あだなのない私は、周囲から好かれていたのでしょうか?
そのようなことはないと思います。
私は周囲に打ち解けようとしなかった子供、青年です。
おそらく、影で私の悪口、あだな等は言われていたのだと思います。
その方が、直接、耳に入ることもなく、心に痛みが走ることもなく、私にとっては、都合良かったのでしょう。
そして、あだなのなかった私は、周囲から完全無視されていた存在なのかもしれません。
あだなは人の心を傷つけることもあります。
あだなのなった私は心が傷つかなかった。
でも、孤独であった。
それから、あだなと似たニュアンスですが、ニックネームであります。
こちらは「愛称」の意味合いが強いようです。
あだなは人を傷つける要素が高く、ニックネームは周囲から、慕われ、愛されている、そのような感じを受けます。
私にはどちらもありませんでした。
でも、これは考え過ぎで、子供時、あだなも、ニックネームもなかった子供もたくさんいるのでしょうか?