運動神経の悪い子は仲間はずれか

ずっと、過去の記憶です。
ふと、思い出しました。
小学生時。

私は運動の出来ない、運動神経の悪い子でした。
運動神経が悪いと、文字通り、走っても遅く、反射も悪く、周囲からは、どんくさい子と思われていたと思います。

当時は遊びは野球が主流であり、やたら走る、遊び(?)が多く、私は野球では打てない、守れない、走っても皆について行くことが出来ず、自然と皆と距離を置いていかれるようになったと思います。

皆から拒絶されたわけではないと思いますが、何となくですが、一緒に遊ぶことに関しては、皆から歓迎されてはいないと感じていました。

私もそういう皆の雰囲気を察し、また、皆と同じように出来ない、淋しい気持ちを抱き、自分から皆と距離を置いた。

このようなことを、先日思い出していました。

もともと、おとなしい子で、あまり話すことが出来ず、運動も出来ない、一緒に遊ぶのも苦痛。
結局、1人で家に居る方を好んだ。

仲間はずれにされたわけではないけど、私から皆のもとを去って行ったという感覚です。

そして家では、本を読んだり、グリコのおまけを集め並べて押してみたり、あとは、親から強制的に習わされていた、ピアノの時間。
年齢が上がるにつれ、ぼぼほぼ、1人で過ごすことが多くなりました。

子供時(小学生)を振り返ると、運動神経の悪い私は、仲間に入りづらく、結局は、1人で居ることを選択した。

親との問題もあり活力は奪われ、自分自身の運動神経の問題もあり、周囲との疎外感を感じ、1人の方が気持ちが楽だったのでしょう。

しかし、1人でいることを選択したこと(心理的な苦痛より解放される必然的な結果)が、今後の私の対人関係の発達の問題に大きく影響。

コミュニケーション力、協調性、相手の立場に立って物事を考える知性の獲得が遅れてしまったのです。

どれだけ時代が変わっても、同世代の子供と遊ぶことは、今後の人間力を培うためには、重要なことだと思います。

でも、運動神経の悪い私は、一緒に遊ぶことが苦痛で、自然と距離を置いてしまい、仲間から脱落してしまったのです。

過去を振り返ると、親との問題も抱えていたけど、自分自身の運動神経の問題も関係して、人間関係を学ぶことが遅れたと思っています。

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