共感のない主観に基づく親切は人間関係を崩す

ある女性(40歳代)の話しです。この女性は小さなカフェを開いています。店は大変綺麗で室内の趣味もよく、接客に対する細やかな心配りも出来ており、お客さんの評判も上々です。

しかし、店ではこれだけお客さんの反応が良く親切で気配りの出来る女性との評判の彼女も、なぜか友達を作ることは苦手なのでした。
彼女はこのことを悩んで相談にこられました。仮に名前をA子さんとしておきます。

A子さんの人付き合いのパタ−ンはカフェ同様、気配り、心配りを大切に親切に振る舞うことから始まります。
例えば6ヶ月前には趣味の茶話サ−クルに入りました。サークルは主催者の自宅(公営アパ−ト)で毎週催されていした。そして、サ−クル内で彼女は準備から後片付けまで初回参加時から率先して行いました。また、小さなゴミでも落ちていたらすぐ拾い捨てる等。彼女にとってはそれが「人に尽くす」ことであり、その瞬間が楽しいのです。
そして、サ−クルのメンバ−は当然彼女に笑顔でお礼の言葉を述べたり、また、彼女も笑顔で返したり、A子さんは笑顔と笑顔の繋がる瞬間を大切にしています。

ところが、サ−クルに通い始めて1ヶ月後(4回参加後)には、サークルを退会してしまいました。理由は「他のメンバ−とのコミュニケ−ションがうまくとれないため」だそうです。

何が原因なのでしょう。

彼女によると自分が提案や発言を2つ3つした後に周りから疎ましく思われたらしいのです。しかし提案発言をしたからといって疎ましく思われるとはおかしなことです。そこで、A子さんに何について、どのように提案発言をしたのか詳しく話してもらうことにしました。
A子さんは前にも茶話サ−クルに属しており、そのサ−クルには会報誌がありました。そこで今回茶話会の時メンバ−に会うたびに、個別に次のようなことを提案していたそうです。

「会報誌はないのですか。あれはいいですよ。絶対に作らないと。皆何を考えているか分かり、親しみもてますよ」「絶対作るべきですよ」

これを執拗にやりすぎたらしいのです。確かに人間毎回同じことを言われると嫌になりますよね。それに彼女はサークル内での自分の立場が分かっていないなとも思いました。
まだ、参加して1ヶ月の新人です。サ−クルやメンバ−には歴史があります。そんなにすぐに積極的に提案をするのもどうかと思います。
それにサークルメンバ−が会報誌を望んでいないとすれば彼女の提案は余計なお世話です。

また、次のようなこともA子さんは話してくれました。
茶話会で使うカップについて失言をしたらしいのです。

「私のカフェではエジプト製の綺麗なカップを使用しています。これは大変高価なものですけど、それをお客様に提供しています。カップが割れる怖さはありますけど、お客様には常に最上級のおもてなしを」

皆さんはこの彼女の発言を聞いてどう思いますか。(茶話会で使用するカップはありきたりの日本製です)

「お客様には最上級のおもてなしを」と聞いた側は、自分達は汚いカップ使って悪かったね。・・・
こんな気持ちになるかもしれません。また、A子さんの自慢話のように思われても仕方ないでしょう。

こういったことが重なって彼女は周りから受け入れてもらえなくなったようなのです。

では、ここでの問題は何でしょう。

A子さんは誰にでも気配りを働かせ親切をモット−に、人とのつながり笑顔を大切にしています。
しかし、上述のように人間関係を築くのは苦手なのです。

考えられることはA子さんの親切、気配りは主観に基づくものであり、共感に基づくものではないということです。

A子さんのカフェでの繊細なセンス、お客様への心配りと親切、そして茶話会での気働き等自分がある状況でどのような役割を果たすかを主観において動いています。
相手に対して自分がこのような振る舞いをしたらどう思われるか、このように言ったらどうとられるか、自分を相手の立場、相手の心に置き換え感じることを中心に動いてはいないのです。
そして、自分を相手の立場に置き換えて共に感じることを共感といいます。

もしA子さんに共感が出来れば、前のサ−クルの話しを持ち出して積極的に会報誌を出しましょうとは言わなかったでしょう。
そして、自分のカフェのカップの話しもしなかったでしょう。
要は相手を不愉快にする言動行動をとらないはずです。それはすべて、自分を相手に置き換えて、これを話したら相手はどう思うだろうと相手の心を察して行動するからです。

それに対して主観に基づく親切、心配り、気働きは相手のニ−ズを満たすことに重きを置いているのです。
もちろん、相手が何を求めているかを感じるには共感も多少は必要だとは思います。相手の立場、目線に立つ必要もあるでしょう。
しかし、より深く相手の心の中まで感じて動くことは要求されないと思います。

例えば接客においての親切、気配り。カフェでお客さんが一気に水を飲み干しました。A子さんはお客さんが喉がかわいていると思い即水を注ぎます。
⇒喉がかわいているのではという判断、生物学的な共感かもしれませんが。心の中まで、気持ちまでは考慮はされていません。
道を迷っている人に駅までの道を尋ねられて、駅まで案内してあげる。
⇒これも相手が困っているという事態を把握して親切に行動していますが、相手の心の中への配慮はそんなにされていないと思います。

それに対して次の例はどうでしょう。
B子さんは夫と2人の子供に恵まれ、夫は本日課長昇進。お祝いのすきやきを家族団欒で食べるため、高級肉を一杯買ったところにC子さん(C子さんは離婚経験があり、子供1人抱えて大変質素な生活をしています)とバッタリ出会いました。
ここにB子さんの相手の心情を思う・相手の気持ちになれる共感が出来れば「こんにちは」と会釈して通り過ぎるでしょう。しかし、共感が出来ないと「旦那は昇格して、本日はすきやきヨ」と悪気はないけどはしゃいで事実を話してしまうのです。
それを聞いたC子さんはどう思うでしょう。
共感があるのとないのでは、これだけ相手に働きかける行動が違ってくるのです。

主観に基づく親切と共感の違い。もう少し言葉を変えて説明しましょう。
親切には、親切をやり過ぎると親切の押し売りと言われることがあると思います。
しかし、共感の押し売りという言葉はありません。
この違いは何でしょう。

上述している通り、親切、気配りは自身の主体性、主観に基づいて行動するので、本当に相手がそれを求めているのか十分な検証はなされていません。(もちろん、前述の通り親切、気配りにおいても相手の心の立場に立つことは多少なりとも必要です)
すなわち親切とは主観に基づき行動する積極的な行動なのです。したがって親切をやり過ぎると、暑苦しい、押し付けがましいと等否定的評価を受けてしまうのです。

そしに対して共感ですが、共感は相手が何を感じているか、もし、自分がこのような言動を取ったら、相手はこんな風に感じるのではと、相手の立場になって考えます。
親切のように単に主観のみで考えるのではなく、プラス相手の立場に立つ能力、相手の心、気持ちに置き換える能力が要求されてくるのです。
そしてこれは能力ですので共感力とも言われています。

では、この共感力ですが、この力のアップのためには何が必要でしょうか。
共感力は人との付き合いのなか、人を傷つけたり、傷つけられたりと様々な経験をして学んでいくものです。こう言えば相手を傷つける、このように相手からしてもらえると嬉しい、相手がこのような声のト−ン、表情をしている時はこんなことを感じているのではないだろうか。このようなことを人間関係を通して学んでいくのです。また、共感は感受性の問題でもありますから、本や映画を見て主人公になりきって感性を上げる方法もあるでしょう。しかし、一番大切なことはやはり人間関係の中、常に考え感じて相手の反応を見る、反省する等、人との中で身につけていくものだと思います。

共感力をアップさせる、身につけるには、人間関係を避けてはならないのです。

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