否定に敏感だった頃 継続した親からの否定の影響
私が38歳時(14年前)、島根県で短期間ですが、就職支援のカウンセラーの仕事をしていた時期があります。
たまたま、島根県の売店で饅頭を家への土産として、帰りますと、母から一言、
「誰からもらったの」。
私は強い怒りを感じました。
否定された怒りです。
もらったのではなく、買ったのです。
母にしてみれば、私が土産を買って来るのが珍しかったので、「誰からもらったの」と尋ねただけでしょうが、他に言い方はなかったのでしょうか?
こういう場合、まずは感謝ではないでしょうか?
「ありがとう」
「おいしそうね」
「それで、お饅頭はどこで買ったの」
(これは、相手への配慮です)。
私は母にずっと怒りを感じ続け生きてきましたが、私に対する配慮、そして、ずけずけと批判的なことを言うことが、私の怒りに直結していたのだと思います。
でも、読者の方からすると、「そんな細かいこと、どうでもいいじゃないか」と、思われるかもしれません。
しかし、ずっと否定、罵倒され続けた子は、ちょっとした否定に敏感に反応してしまうのです。
脳がそうなってしまっているのです。
(もちろん、反応を変えることは可能です)。
そして、さらにこの話し、続きがあります。
実は、話しの続きが問題なのです。
この話しをカウンセラー養成校の卒業生の勉強会で、私と同い年程の女性に、母の一言を話したのですが、
彼女は、「私がなぜそんなことで怒っているのか分からない」と言ったのです。
その瞬間、私は感じました。
「もういい」。
そして、彼女のことも嫌いになり、以降、一切話しをすることをやめました。
おそらく、私は否定されたと瞬時に感じ、また、分かって欲しかった気持ちが強かったのでしょう。
それに、カウンセラー養成の出なので
「どうしてそう思うの?」ぐらいの反応は出来ないのかと批判的にもなった。
でも、今考えると、私の複雑な家庭事情は彼女には分からず、私が買って来た饅頭を、母が誰からもらったと尋ねたことぐらい、大したことではないと思われたのでしょう。
私は機能不全家族の出ですが、これが健全な家族で育った人であれば、
「違うよ、買って来たんやで-、はよ、食べてや」と。
笑顔で言えたのだろうなと思います。
38時の私は、否定に敏感すぎ、分かってもらいたい気持ちが、まだ強すぎた。
そして、分かってもらえない人は嫌いになったのです。
自分が人に分かって欲しいと勝手に期待して、分かってもらえないと心が傷つき、批判的になり、心を閉ざす。
これは、私の反応責任の問題です。
そもそも、皆が皆、私のことを理解してくれるわけがない。
込み入った家庭内の事情も知らないのですから。
今なら、これ程度の小さな話しを、分かってもらえなかったとしても、そんなには気にしません。
否定に敏感、分かってもらいたい気持ちが強すぎるのは、私の問題であり。
そのことを理解すれば、あとは、努力、継続、自己反省で、自分を変えていく作業をすれば良いのです。
脳の反応は変わります。