欲 こうあるべき思い

人が悩む時、そこには「こうあるべき」という、「欲」があることが多いです。
欲が強ければ、強いほど悩む。
欲を満たしたい、それでも、欲を満たすことが出来ないから悩む。
そうかもしれません。
人にはこう在りたい、こうなりたいという欲があり、その欲が達成出来ないから悩むのです。

例えば、お金の悩みがあります。
たくさん稼いで、たくさん貯金をしたい。
少しの貯金では不安。
もっと、お金が欲しい。
これは欲です。

確かにお金がないと不安です。
でも、あまりお金に欲を出し過ぎますと
どこからか甘い誘いがあり、お金、財産を失うこともあります。
また、自ら株に手を出し、やはり今までの財を失うこともあります。

欲を出し過ぎると、真逆の現実を招いてしまうこともあるのです。

人が悩む時、そこに「欲」があります。
でも、その欲の背景には、漠然とした、大きな不安があるのかもしれません。

さて、カウンセリングの相談内容でも、確かに欲がテーマとなっている時もあります。

一番多い欲の問題は、「自分は一番でないと価値はない」。
「自分は何事も完璧にしないと価値がない」。
この強い思いです。
欲。

何が何でも、自分が行っていること、すべてに対して、常に一番でなければならならない。
常に完璧でなければならない。

その欲の強さゆえに悩みます。

でも、問題はなぜ一番であり続けなければならないのか。
なぜ、完璧に何事も遂行しなければならないのか。

一番以外は価値がないのか。
一番でない人を見下すのか。
そもそも常に一番であることは達成可能なことなのか。
客観的に考える必要があるでしょう。

また、常に完璧とは何でしょうか。
完璧である状態であると誰が判断するのでしょうか。
誰がその完璧に満足するのでしょうか?
そもそも、完璧な状態は存在するのでしょうか?
存在しないものを理想としても、達成は不可能です。
達成出来たとしたら、慢性の心身疲労状態になっていることでしょう。

そもそも私たちは、こうありたいと強い欲を持った瞬間に、その欲を達成したいと、その欲の強さに悩む生き物なのかもしれません。
そして、その欲は不安と大きく関係しているのです。

先の一番でなければならない。
不可能に近い欲を満たそうとしているのですが、実はその背景には、一番でない自分は価値がない、一番でなければ怒られる等、不安が広がっているものです。

完璧でなければならないもそうです。
それが出来ない自分は認めてもらえない、見捨てられるのではと、漠然と不安の世界が背景にあるように感じます。

心の悩みの常として言えるのですが
私たちは「こうあらねばならない」と自分に強く思う時、自分にそのことを課すとき、その欲を満たそうと決意しますが、実は客観的に考えると実現不可能なことが多いのです。

果たして、その欲を満たすことが出来ないと、自分の思っている不安は現実になるのでしょうか。

欲と悩みについて書きましたが、欲を持つことを悪いことだとは思いません。

欲があるからこそ人は大業をなそうとチャレンジ心を持ち、また、名誉心も欲とするならば、名誉を満たすために、社会に貢献することも多々あるでしょう。

でも、身の丈に合わない欲は持たないこと。
実現不可能な欲は持たないこと。
その欲の背後に、大きな不安が口を開けていないか認識することです。

得たいの知れない不安から発生する、欲を満たさなければという想いは、それが達成出来ない自分を、その不安があるゆえに、自分はダメだと、自分が自分を責め続ける結果となってしまうことも多々あるのです。

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