文章にこめた思い 私に宛てたメッセージも
私はホームページに様々な文章を書いています。
他の人から、「よくこれだけ書けるなぁ」と。感心されることもあるのですが。
ずっと、書き込んでいる私にとっては、書かない方が気持ち悪いのです。
さて、このホームページに書き連ねている文章。
それは、誰のために書いているのでしょうか?
文章・文字に込めた思い メッセージ
これらの文章の大半は、実は私が経験したこと、学んだこと等から、書かれています。
それは、まるで、自分が自分に宛てた、メッセージのようなものなのです。
文章に込めた思い、私が私に伝えたいメッセージであることが大半なのです。
人とは、自己の経験を中心に進化、発展、思考、価値観、感性が変わっていきます。
私もそうです。
その、私の人生を通して、私が感じたこと、学んだこと等を、メッセージの形にして、多くの方に、読んでんで頂きたいと、文章を起案しているのです。
この意味において、私とホームページは不可分の存在であるとも言えるでしょう。
そして、文章を書き終えた時、私は次のようにも思っています。
「そうだ。その通りだ」。
不思議な納得感を得ているのです。
ホームページの文章は、無理に何かを書く必要はなく、自己の経験より学んだこと、ある人のふとした言葉より学んだこと、テレビを見て思ったこと、その内容よりの問題意識、疑問、それらを、さらに深く考えることより、私の思考内で納得、整理して書いています。
したがって、読者の皆様からすると、どこまでが、私の経験で、どこまでが、私の思考レベルの文章かは、分からないと思います。
しかし、経験も自分自身、思考するのも自分自身。
その意味ではやはり、全文、私となるのではないかと考えています。
文章を書く時の注意点 読者への心理面の配慮
私が文章を書き、発信する時、心がけていることです。
一方的な断言調にならないこと
人には、様々な意見があります。私は私の意見、メッセージを投げかけているだけで、それが正しい説なのか、どうかは分かりません。
自分の思っていることを自由に、自分なりに論理的に書いています。
他者の意見を批判しない
基本的には行いません。
意見とは人様々、無限にあるものと考えると、他者の意見を軽々しく批判することは出来ないのです。
それに、何が正論か、根拠もありません。
なるべく、読まれている方に不快感を持たれないようにする
しかし、文章とは一方通行。どうしても、人様々な解釈によっては、異論、反論、不快もあるでしょう。
それは、それで良いのです。
私の文章を読まれて反論より、さらに進化した自己論を構築されたのであれば、それは、それで良いのです。
以上、私の文章に対する思い、メッセージ、その心について書かせて頂きました。