私と母 運命か宿命か

手術は無事成功ということで、見舞いに行った。
(この翌日、母は亡くなるのですが・・・)。

腰の手術は成功したが、今は動けない状態。
問題はこの後の、リハビリにある。
リハビリ中、動き出すと、持病から何が起こるか分からない。

この時、母から頼み事をされた、汚れ物を洗って、持って来て欲しいというものだった。

私は不愛想に、期限を聞いたが、とくに、期限はないとのこと。
いつ持って来るか、家に帰って考えよう。

その後、担当医が病室に来て母を診察。
私は病室から出され、診察後、廊下で担当医と話す。
明日からリハビリをはじめますとのことだった。
その後、2週間程で退院とのことだ。

さて、その後、病室に戻って、不思議な光景を見た。

病室に戻ると、母がベッドに腰かけて座っていた。

その時の光景、母が神々しく光って見えた。

これは、窓から陽の光が入り込み、病院のブルーの病室着に光が反射して起こった現象ですが、あまりにも眩しく・・・。
不思議で、未だ忘れられない光景。

その後、家に戻るため病院を出たのですが、携帯を病室に忘れていたことに気がつき、病室に戻った。
母の携帯と私の携帯は、デザイン、色が似ており、私が病室の、私の携帯を持って帰ろうとしたところ、母が「それ、私のと違うの」と尋ねてきたので
「違うわ」と一言。

これが、母とのラストの会話です。

「違うわ」。
そう、違うのです。
子供時より、私をいろいろと否定、決めつけ、母とは因縁のようなものがありました。

私の思っていることと違う、勝手に決めつけるな。
違う、違う、違う。
多々あったと思います。

最後に母に言った言葉。
「違うわ」。

私と母の関係を象徴する言葉であったようにも思います。

さて、家に帰って考えた。
預かった、洗い物をいつ持って行くかだ。

3日後程度でいいかなと思ったが、テレビを見ていると、台風がその時、関西を通過の予定と放映していた。

であれば、今日洗濯、明日持って行くことにした。

台風については、関西を直撃せず、関東に向かいました。

〇翌日

さて、前日預かった洗い物を洗濯。
台風通過前に持って行くことにした。

何時に病院に行こうか。

この日は14時に人と会う予定。
洗濯物を持って会うのも、何かと理由を聞かれるだろう。
それも、気が進まない。

その人と会う前に、洗濯物を母に届けようと思った。
時間は病院の昼食前。
落ち着いている時間帯にしよう。

11時30分頃かな。

私は10時49分発の電車に乗り、病院には、11時20分ぐらいに着いたと思います。
まずは、洗濯物を渡さなければと思い、母の病室に行ったが、母はベッドごといない。

今日からリハビリ、ベッドごとリハビリに行っているのであろうと思い、洗濯物を病室に置き、帰ろうとした。

ん。
そんなバカなわけないだろう。
(一瞬パニックになり、正気を取り戻した)。

母の身に何かあったに違いない。
嫌な予感。

2階の病室のセンターに行き、母のことを尋ねる。
どうもバタバタしている。

すぐにお呼びしますのでと言われたので、1階のロビーで待っていると伝えて、階下に降りた。

5分後、携帯に、「お母様が危篤です。すぐ、病院に来て下さい」と、院内の他部署より連絡が入る。
⇒いえ、すでに来てますけど。

私はロビーに居ることを伝え、緊急治療室に案内された。
治療室の入り口では、数人の関係者であろう、何か話しをしている。

私の姿を見ると、皆黙ってしまった。
緊張がいっきに高まる。

母は人口呼吸器をつけられて横たわっていた。
「あと、何日持つのか」聞いた。

「あと、数時間です」。

立っていることが出来なくなった。
椅子を用意してもらった。
その後、いろいろと連絡をしなければならないので、気を落ち着かせ、ロビーに降りて、連絡をした。

そして再度、集中治療室に呼ばれた。
「すでに心臓は止まっています。機械で強制的に動かしています。これ以上はお体を傷つけるだけです。止めていいですか?」
判断を求められた。

了承するしかない。

私が病院に着いて、1時間20分ほどですべてが終わった。

最期を私が看取るとは。
気が合わない、話さない、難しい関係の親子だったのに。

これが、私と母の運命か、宿命か。

母との50年は終わった。

でも、私が母の最期を看取ったことについては、母に呼ばれたようにも感じています。

前日に洗濯物を渡されたこと、台風の情報、当日たまたま大阪で昼から人と会う予定。
したがって、午前中、昼食前に病院に行こうと、気楽に思ったこと。

母の持病が悪化をして倒れたのは、11時頃と聞いています。
ちょうど、私が電車に乗って、病院に向かっている途中のことです。

そう言えば、昨日、母が光っている姿を見たけど、これも、意味があるのかな?

最後は「違うわ」ではなく、もう少し、優しい言葉をかけて帰れば良かった。
時間は戻らない。

母との楽しい思い出は何もない、記憶されていないけど、終わってしまった。

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