礼儀正しい子として

私が中学時、父から礼儀正しいとほめられたことがあります。
何も嬉しくはありませんでしたが。

当時は学校内での行事の中止等、緊急連絡網があり、一軒、一軒、連絡網に従い、固定電話で、緊急の連絡を回していくのです。
(メールもなかった時代です)。

私が緊急の連絡を受け、次の生徒に電話をしたのですが、本人不在で母親が出てきました。
そこで、私は礼儀正しく、その母親に要件を伝えていることを、父が聞いており、礼儀正しいと評価したのでしょう。
(携帯のない時代、電話は一家に一台、通話は家族にまる聞こえ)。

確かに、私は礼儀正しい子供でした。
しかし、思いやりには欠けていた子供でした。

それは、友達と遊ぶこともなく、親の子育て、関わりがいい加減、自分を抑える傾向が高まり、人と接する能力、社交性を培えなかったことが原因です。
思いやりの能力は、人間関係によって獲得されるものです。

さて、礼儀とは1つの形を身につけることです。
社交性がない私は、思いやりという中身がないので、形を守ることにより、自分を維持したのだと思います。

形を維持して振る舞う、しかし、相手に踏み込まれることを嫌う。
または、踏み込ませない。

なぜなら、踏み込まれると、どのように対応してよいか分からないからです。
したがって、礼儀の形を堅持し、表面上の付き合いを望む、もしくは、誰も自分の中に入ってきてほしくなかったのでしょう。

礼儀は大切ですが、礼儀ばかり重んじていますと、堅苦しい印象を与えてしまいます。
対人関係能力とのバランスが大切です。

形で思い出しましたが、私が親しい人に手を振って歓迎の意を示す行動が出来るようになったのは、35歳頃です。

少し、自分の殻を破った瞬間でしょうか・・・。

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