2人の経済的な苦労をしなかった子の不満

ぼんぼんと書くと、甘ったれて育てられた、過保護、わがままし放題、苦労を知らない、欲しい物は何でも与えられてきた。
このような人達と、その成育背景を想い絵描かれるかもしれません。

確かに、その、側面もあるでしょう。
では、本ページにおいて、2つのぼんぼん(経済的な苦労をしなかった子)の例を紹介したいと思います。

1 好き放題 甘やかされ育てられた

子供が親から何でもしてもらい、子供の好き放題、わがまま放題に育つ、裕福な家庭もあるでしょう。

親が子供の言いなりになり、常に子供の要求を満たす、親が子供の奴隷のような存在なのかもしれません。

このような家庭で育った子供は、欲求不満への対処力、我慢する能力の獲得に失敗します。
したがって、常に自分勝手に振る舞ったり、自分の望みが叶えられないと、暴れてみたり、自己の欲求を満たすためなら、人の迷惑を顧みず、何をしでかすか分かりません。

欲しい物に対して自己対処能力を学べないことは、社会で生きていくうえで悲劇をもたらすこともあります。

また、甘い考えから、すぐに儲け話にのってみたり、大金を失うこともあるでしょう。

親の1つの責任は、子供の社会への適応力を育む、社会規範、ルールを順守することを学ばせることが大切だと思いますが、親が子供の言いなりになっていたのでは、どうしようもありません。

子供の欲求は天井知らずに膨れ上がり、親は家の資産、経済の持つ限り、子供の要求に応え、与え続けるのかもしれません。

私は、子供は苦労すべきとか、そんなことはまったく考えていません。

ただ、人としていかに在るか、この1点のみです。
そして、この土台を形成するのは、まずは、親ではないでしょうか?

特に経済に余裕があり、何でも買い与え、我慢、忍耐を培うことを伝えないと、子供が大人になった時、自分勝手、好き放題、根拠のない万能感に生き、社会不適応になりかねません。

2 親のいいなり 親の期待に応える人生

さて、経済的な不自由はなく、それなりに欲しい物を親から与えられており、上述のぼんぼんとは、違うパターンを考えたいと思います。

彼らは、物をいろいろと買い揃えてもらっており、生活も当然困窮してはいません。

親にそれだけの経済力があるのでしょう。
親にそれだけの経済力があるということは、親はそれなりの企業勤め・起業されて成功しておられるのではないでしょうか?

経済的、社会的に成功したと自負する親の中には、自分の子供にも、同じように経済力、社会的成功をして欲しいと、望まれる場合も少なくありません。

そうなると、子供に対する勉強成績、学歴への期待も高くなり、本来、子供がしたいことを封じて、親の高い期待を満たすために、強制的に延々と、勉強、勉強と言い続けます。
しかし、子供は本来したいことが出来ない状態になり、高ストレスの状態が続くことになります。

強い、欲求不満の状態に子供時から置かれた子供は、常に自分のやりたいこと等、親に邪魔をされ続け、大人になって、親が干渉をすることがなくなっても、慢性的な欲求不満の心理状態抱えことになることもあります。

子供時から続く、欲求不満の状態を抱えて大人になりますと、心が常に欲求不満、現状になかなか満足せず、些細なことにも敏感に反応して、不満を表明することもあります。

甘やかされ育った、過保護で育った、天井知らずの欲求不満とは違い、とにかく、常に不満な心の状態なのです。
慢性的な不満感を親に植え付けられた、その結果、常に心は不満足。不満足ゆえに自分でも、勝手なことを要求していると認識しながらも、心の不満は満たされることはなく、他者からどれだけ、何かをしてもらっても、なかなか感謝出来ない心になってしまうのです。

延々と続く不満状態に陥ると、感謝の気持ちさえ、養えず、してもらって、当たり前と、感じるようになってしまうこともあるのです。

してもらって当たり前の心理的背景には、自分がこれだけ我慢して抑圧して生きていたのだから、当然の代償と受け止める人もいることでしょう。

しかし、この感覚は親子関係ではOKでも、他者との関係によっては、軋轢を生じることでしょう。

また、親のいいなり、親の期待に応える人生をおくってきた方は、自分で自分のことを決定する力が弱く、人生の分岐点等において、自己決定力の問題にも直面するのではないでしょうか。

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