感謝の感覚
感謝しましょう。
感謝。
感謝。
よく聞く言葉です。
しかし、感謝とは何か?
何に感謝しているのでしょうか?
何かをしてもらったり、自己の利につながった時に、感謝するのでしようか。
「ありがとう」のお礼が、感謝なのでしょうか。
お礼と感謝は違うのか?
お題が難し過ぎ、今の私のレベルでは分かりません。
しかし、感謝について思っていることがあります。
それは、出会った人、親交の深まった人。
その人、その存在そのものに感謝する。
これが感謝の基本ではないでしょうか。
例えば、一般的には親に感謝しましょうと言われています。
それは、私たちが親から生まれ、愛され、育てられたからです。
大変な思いをして育てて頂いた、親に感謝しましょう。
となるのでしょうが・・・。
残念ながら、生んでもらったけど、一生懸命育ててもらったけど、批判、罵倒、虐待、機能不全家族、アダルトチルドレン、これらをキーワードとして、心に傷を持っている人が、素直に親に感謝出来るでしょうか。
何かを悟った方は、出来るでしょう。
私は凡人、まだその境地に達していないようです。
しかし、そもそも、感謝とは感覚であり、どこまで感覚を上げれば、真の感謝か。
分かりません。
親に対する感謝。
親の供養は毎年していますが・・・。
さて、私たちが、他者の存在に感謝するために大切なこと。
それは、私たちが子供時より愛され、満たされ(お金のことじゃないですよ)、自分の存在を肯定出来ていることではないでしょうか。
自分が自分を認めている。
だから、人を認めることも出来る。
したがって、自分が自分を認められない人は、真の意味で、他者の存在に感謝することは難しいかもしれません。
感謝。
他者の存在に感謝する。
何かをしてもらったからではなく(そうは言っても、多少の利得は関係するでしょうけど)。
私たちは人とのつながりによって生きています。
人とのつながり、人生のうるおいのためにも、感謝。
そのためには、他者を認める、受容する必要があり、自分を認められない、自己受容出来ていない人は、他者への感謝が難しい。
さて、私が人に感謝出来ているかどうか?
正直、どこまで出来ているか、分かりません。
私は今、感謝について一説を書きました。
この考え(説)が、妥当かどうかも、はっきり言って分からない。
感謝とは壮大なテーマのような気がします。
それでも、感謝とは他者を認める、感覚のエネルギーのような気もしています。
さて、自説に従って話しをすすめます。
自分を認められない人、自分を受容出来ていない人は、他者に感謝することが難しいと書きましたが、それでも、他者に感謝の気持ち、感覚を抱くために、行うべきことがいくつかあります。
1 自分を認める 自己受容を図る努力をする。
2 感謝の根源が親子関係にあるとすれば、親が満たしてくれなかったものを、満たしてくれる人に出会う。これによって、人としての尊厳を取り戻す。また、人に対する感覚を変える。
3 人に親切にする。他者に親切にすると、必ず、ありがとう等の言葉が返ってきます。
この言葉を頂くことで、自己の幸福感をあげ、自分が自分を受け入れ、さらには、人に対する感謝のエネルギーも感じる、増やす。
結局、人への親切は、自己エネルギーの増に還元されるのです。
そして、それがまた、他者に還元される。
いかがでしょう。
生まれてはじめて、単なる言葉としてではなく、「感謝」について考えてみました。