無意識の感覚からの不安
私たちが不安になる時、何かを考え過ぎて不安を感じるのでしょうか。
それとも、勝手に不安を感じるのでしょうか。
おそらく、両方のパターンがあると思います。
考え過ぎから、不安を感じる。
これは、よくあります。
また、多く人が経験しているでしょう。
考え過ぎからの不安からの脱却法は、客観的に物事考えることです。
・他に考え方はないか
・恐れていることが現実に起こる確率はあるのか?
・誰かに相談してみる。他の意見を参考にする。
・何か他のことをする。気分転換。
等々。
さて、勝手に感じる不安、すなわち、思考、何も考えていなくても不安を感じる場合です。
想定:ある場所に初めて行ったとしましょう。
そう、そこは教室。
人が30人程います。
ワイワイ、がやがやしています。
皆、知り合いなのでしょうか?
その中に入って行きます。
この場合、勝手に不安を感じるパターンとして、3つ考えてみました。
1 大勢の中に入っていく 初対面の人に対する苦手意識
2 何か嫌な感じの人がいる
3 部屋の雰囲気から何か不安を感じる
1 大勢の人の中に入っていく 初対面の人に対する苦手意識
これらは、対人不安の傾向が高く、人に対する苦手意識が強いのかもしれません。
どう思われているか等意識せず、(実際は無意識で思ってます。または、自動思考)、他者と自分との間に境界をしっかりと、引くことは大切でしょう。
※無意識 自動思考について
あまりにも他者不安のことばかり考える続けと、他者に対する不安が強まり、意識していなくても、常に他者に他する不安が先行するようになってしまいます。
脳がそうなってしまうのです。
人に慣れるように、努力すること。
努力と場数より、克服可能です。
脳を変える作業です。
2 何か嫌な感じの人がいる
これはもしかすると、過去、トラブル等があった人と、顔、雰囲気が似ている人と遭遇したのかもしれません。
私も、これを感じる時はあります。
その人に対しては、自分からは近寄らない、警戒しています。
私たちには自分を守る直感があります。
これは、霊的なレベルなので、まったく理論的根拠はないのですが、直感の判断は案外正確です。
もしくは、52年生間の人生において、蓄積された経験からもたらされる、直観も働き、判断しているのだと思います。
人とは不思議なもので、性格・気質が、顔や姿勢、言動から見え隠れする時があります。
見かけで人を判断してはいけません。
しかし、見かけではなく。
直感より、その人の持っている雰囲気・気から判断することは、大切だと思います。
でも、やっぱりせっかくの出会い、もったいないと思われるのであれば、少し話しをしてみて、自分の直感・直観の判断を確かめてみてはどうでしょうか。
3 部屋の雰囲気から何か不安を感じる
これも直感かもしれません。
または、その人が暗い場所、明るすぎる場所、人が騒いでいる響く声を聞くことが苦手等、その人独自の敏感さから、嫌気、不安を感じるのかもしれません。
この場合は、しばらく、そこに居続ければ慣れるかもしれません。
しかし、敏感体質の人に慣れろと言うのは酷かもしれません。
自分が不安、嫌気、緊張を無意識に感じる場には、いかない方がいいかもしれません。
行って帰って来ると、どっと疲れる。
さて、3パターン書きましたが、勝手に不安が先に動いたとしても、落ち着いて、自分が何に不安を感じているのか、考えると、意外と理由が分かり、ざわざわした不安感も落ち着くかもしれません。
不安・感覚⇒思考で分析することから、謎が解け、安心感を得ることも可能です。
<それ以外、文献より>
岡田尊司著 愛着障害 光文社新書より
「無意識の記憶」としてフロイトが述べたことは、今では、脳科学的にも裏付けられている。
ことに偏桃体に刻まれた情動的な記憶は、無時間的なものであり、それがどこからやってきたものか、当人にも分からないという性質をもつ。ただ、過去の記憶を想起させる感覚に出会ったとき、心地よい感覚や理由のわからない不安や恐怖にとらわれるのである。