思い込みの3段階と自動反応 思い込みは身を滅ぼします

前回批判精神と思い込みについて書きました。
思い込みとは子供の頃から養育者等の育児態度・接し方から形成されるものです。

そして、中核的な思い込みとして、親からの影響による「自分は悪い」「自分は出来ない人間」等、自分に対する評価基準を形成する思い込みについて書きました。

しかし、実際は人間の思い込みとは複雑なもので、様々な段階に分かれていると思います。
今回は思い込みを3つの段階に分けたいと思います。

その3つとは主観的自己評価、恐れ、信念の3つです。

主観的自己評価(自分に対する思い込み)

自分に対する思い込みです。
子供時に養育者の言葉・態度から発せられたもの(言語・非言語メツセ-ジ)を内的規準、自己評価として、意識的・無意識的に取り込んでいます。

したがって主観的自己評価、すなわち自分が自分のことをどう思っているかについては、養育者の外的基準の取り込みに基づく思い込みであり、客観的根拠はまったくありません。

恐れ(他者・未来に対する思い込み)

生きるうえで恐れている結末です。
誰も自分を認めてくれないだろう。
誰も自分を愛してはくれまい、こんな自分では何ひとついいこも起こらないだろう等、主観的自己評価からくる推測に基づく不安、恐れです。

恐れは対人関係に関する不安と、これからの未来に対する不安に彩られています。

信念(いかに生きるかの思い込み)

生きるうえでの信念です。~あるべき等が中心です。

人から認めてもらうためには何事も完璧に頑張るべき。愛してもらうためには人に合わすべき等、推測の恐れが現実のものとなるのを避けるための信念、今を生きるための信念です。

では、具体例をみて見ましょう。親が子供に常に高い要求をし続け、子供が出来ないと子供を責めます。
この親子関係より生じる思い込みを、主観的自己評価、恐れ、信念の3段階について考えてみます。

主観的自己評価
親の期待を満たせない自分は価値がない(これは出来ないあなたはNOという親のメッセ-ジがもとになっています)。
恐れ
価値のない自分は誰も認めてくれない。
信念
何事も完璧に行い他者から認めてもらわなければならない。でなければ生きていけない。

では同様に次の例で、更に3つの思い込みを見てみましょう。

子供時親よりあまり愛を感じず淋しい思いを抱いて育った人は、自分の存在を受け入れて欲しいという気持ちが大変強いです。

主観的自己評価
誰も自分を愛してくれない。
恐れ
未来永劫自分は1人ぼっち。嫌われたら終わり。
信念
他者に嫌われないよう周囲に合わせるべき。

このように、子供時の養育者の影響が主観的自己評価、自分に対する思い込みを形成して、そこから今後生きることへの恐れと不安が推測されます。そして、その恐れと不安が現実のものとならないように、生きるための信念、生きるための思い込みが誕生するのです。

では、私たちの生き辛さの原因となるのは思い込みの3段階のうち、どの段階なのでしょうか。

今の私たちの行動態度の基となるのは信念です。
しかし、信念の基には恐れがあり、恐れの基には主観的自己評価があるのです。

したがって、最も基底にある主観的自己評価・自分に対する思い込みが生き辛さの原因になっていると思われます。

しかし、カウンセリングを通して、何が生き辛さの原因であるか進めていくと、まずは、信念が浮かび上がってくるのです。

でも、これは当然です。信念は生きるための指針であり意識されているものです。

しかし主観的自己評価、自分に対する思い込みは、子供時に養育者から取り込んだもの、植え付けられたもので意識されておらず、無意識になっている時も多々あるのです。

また、お気づきだと思いますが、信念、恐れ、主観的自己評価にはまったく客観的根拠がありません。
それは子供時養育者の価値基準、判断、態度、接し方等親のメッセ-ジを、無批判、無自覚に取り込んでしまったものであり、そこには、そう思い込むだけの客観的な根拠はないのです。

したがって3段階の思い込みの根拠は何か?
本当にそうなのか?

客観的に考えたらどうなのか等、養育者の影響がある様々の思い込みを洗い出し、非論理的な思い込みを追い出し、客観的な生きやすいものに変えていく必要があるのです。

アダルトチルドレンだけでなく、様々な人が様々な主観的自己評価、恐れ、信念を持っていますが、アダルトチルドレンは客観的根拠のない、思い込みに縛られて生きている度合いが強いように感じます。

それだけ機能不全家族の影響が大きいということなのです。

そして、この信念・思い込みと密接に結びついているのが自動反応です。

自動反応とは意識していないなもかかわらず、なぜか取ってしまう行動、態度、思考のことです。

これは私の話しです。

ある程度親しい女性(個人的ではありません)から、携帯に電話がかかってきました。しかし、非通知だったのです。
私はこの事態に大変激怒、がっかりしました。

それは、なぜか分かりますか?

私にとって非通知ということは、「あなたには通知する価値がない」と言われたのと同じことなのです。

もちろんこれは今だから冷静に過去を振り返って書いているのですが、この事態が起きた瞬間は言語よりも、体感というのでしょうか。

感覚的な怒り、ショックを感じたのでした。

これは主観的自己評価・無意識の自分に対する思い込みの影響であったと思います。

アダルトチルドレン特有の「自分は存在するに値しない」「見捨てられるのでは」等、普段は意識しない自己存在に対する不安が、非通知の電話は対して「あなたに私にとって価値がない人」と瞬間的に判断反応したのだと思います。

これが自動反応なのです。

言語ではなくショックのような体感で反応しているのです。

自動反応は瞬間的に反応しますので、自分に何が起こっているのか捉えにくいと思います。
更に自動反応はこのように無意識の思い込みの影響を受けているので、なかなか意識的に捉えることが出来ないのです。
そして、その思い込みは親の声を取り込んだものであり、まったく非論理的でもあるのです。

自動反応とその基である無意識の自分に対する思い込み。
思い込みは身を滅ぼします。

実際私はこの非通知の女性と縁を切ろうと思ったのですから。
そして、このあとすぐに当時カウンセリングを受けていたカウンセラ-に電話で相談をしました。
カウンセラ-からは「非通知でかけざるを得ない事情があったのでは」と指摘を受けました。

数日後、その女性と会う機会があり、私が何も言わなくても彼女は開口一番「職場からの電話で非通知でした。失礼しました」と謝罪をしてくれました。

自動反応は勝手な思い込みに基づくものです。

何かを瞬間的に感じ、体や感覚が反応をしたら、深呼吸をして何に対して自分は反応しているのか。
そう反応する判断根拠は妥当なものか。
他に見方はないか。
自分を落ち着かせて客観的に物事見るようにしましょう。

もう一度書きます。

思い込みは身を滅ぼします。

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