愛着の問題か 子供とぬいぐるみ関係
私は小学6年生まで、くまのぬいぐるみを6匹持っていました。
ぬいぐるみで遊ぶことはないのですが、就寝時、縦に3匹づつ置いて、両側をぬいぐるみで固めていました。
ぬいぐるみに守られている感覚。
さびしさを紛らわす感覚もあったのでしょうか。
(私の両親は夕食時には揃っており、物理的には孤独ではないのですが、心理的に孤独だったのでしょう)。
さて、ぬいぐるみとは不思議なもので、その顔をじっと見ていると、昨日は淋しそう、今日は楽しそう等、顔が微妙に変化している感じを受けます。
実は、本人(私)のその時の気持ちが、くまのぬいぐるみの顔に反映されていたのでしょう。
そして、ぬいぐるみを、ぐっと抱きしめている子がいるとしたら、本当はその子が抱きしめてもらいたいのだと思います。
ぬいぐるみを手放さずに、ずっと、側に置いている子は、愛着に問題があるという説が日本ではあります。
それは、成長しても、年相応の親への愛着離れが形成されておらず、ぬいぐるみに対して愛着を求め、深めているのだそうです。
一方、海外では子供が成長してもぬいぐるみを側に置いたり、遊んだりすることは、親に対する愛着がしっかりと形成され、心に安心感があり、ぬいぐるみを愛する心理が形成される。したがって、ぬいぐるみを自分の愛する対象として遊ぶという説もあります。
諸説、どちらが正しいのか分かりませんが・・・。
しかし、これらの説を考える場合、その国の文化を意識、考慮する必要があるでしょう。
親からの子供の個の確立(独立)は、日本では遅く、海外(アメリカ)では早い。
顕著な例え、日本の親子は川の字を描いて寝ますが、アメリカでは、子供は幼い頃から自分の部屋が与えられ、夫婦の寝室に入って来ることはありません。
(映画を見ると、このシーンはよく見られることと思います)。
したがって、心理的に親離れする年齢が、日本とアメリカでは違うのでしょう。
日本の親子関係は依存型が多く、いつまでも親元に子供が居ることが許されますが、アメリカは自由と独立の国。
早く親元を離れ、一人前になることが国民気質としてあるようです。
(現在の不景気のアメリカにおいて、この伝統が守られているか情報不足ですが)。
また、成人した子と親が一緒に旅行に行っても、日本人の親は多めに費用を負担して、アメリカでは子供が多めに費用を負担する。
これは、自分が自立、一人前であることを証明するためです。
このような、親子関係、愛着関係の相違が、そもそも、日本とアメリカでは違います。
子供が、ある程度成長して、ぬいぐるみと遊んでいても、日本とアメリカでは文化の根底が違いますが、アメリカを参考にして、日本の子供は成長云々に神経質になる必要もないように感じます。
いずれは、ぬいぐるみ離れを果たします。
それよりも、人生早期、子供時よりどっぷりとスマホに浸っている方が問題ではないでしょうか。
それから私は、子供とぬいぐるみの関係において、「愛着の問題があるような」という曖昧な表現を使いました。
「愛着障害」という言葉は使っていません。