楽しみと楽しめない理由と心理
楽しみ、楽しむことをテーマとして、3つの記事を書かせて頂きます。
特に、楽しみ、楽しむことに対する問題を抱えておられる方に対して、読んで頂きたいと思います。
1 楽しみ方は人様々
2 趣味らしい事はあるが楽しめない
3 楽しむことに対する罪悪感
1 楽しみ方は人様々
人は何を楽しんでいるのか?
楽しみ方は人様々です。
でも、人によっては、笑っていないと、楽しんでいない。
そう思われる方もおられるようです。
おもしろければ、笑うと言いますが
おもしろい=楽しいは、ニュアンスが違うようです。
花を見て楽しむ
ペットと遊んで楽しむ
楽器演奏を楽しむ
アロマを楽しむ
絵を描くことを楽しむ
スポーツを楽しむ
人、様々な楽しみがあります。
ですので、自分らしい楽しみを持てば、いいのではないでしょうか。
でも、自分なりの楽しみが分からないという方は
様々なことにチャレンジ、経験して
自分なりの楽しみを、みつければいいと思います。
私の今、一番の楽しみは
NHK、Eテレの、一般の人を対象とした
ドキュメンタリー番組を見ることです。
人を知り
社会を知ることにつながります。
で、なぜそれが楽しみなのか?
と、問われると
その答えは分かりません。
楽しいと思っているから
そして、楽しく見ているから
楽しむ、楽しみとは、
このようなものではないでしょうか。
2 趣味らしい事はあるが楽しめない
趣味らしい事はある。
楽しいと思う時もあるけれど
なぜか、基本的には楽しむことが出来ない。
このような時もあります。
私は、楽しむということは、その行為、過程を楽しむことが
大切であると考えています。
しかし、人によっては、行為、過程の後の、
結果を強く求める場合があります。
例えばスポーツ。
スポーツという行為を楽しむというよりも
「勝つ」ことの結果を求めすぎ
スポーツそのものが楽しめないのです。
例えば創造的行為。
絵、小説、陶芸等の創作行為。
この場合も、作品を出展することによる
評価や、嘗を強く求めますと
創造的、創作的行為じたいに楽しみを見出すことが
難しくなるかもしれません。
結果を求めることは大切ですが
「楽しむ」ということを主とするのであれば
結果はとりあえず、脇へ置いておき
今している、「楽しむ」
行為、過程、そのものを楽しみましょう。
そう。
結果は先、未来のこと。
今を大切にしましょう。
3 楽しむことに対する罪悪感
楽しもうと思っても
何か楽しいことをしようと思っても
自分が楽しむことに対して、罪の意識を持ってしまい
楽しむことを、禁じてしまうことがあります。
それは、無意識で楽しむことを禁じているようです。
この無意識とは、子供時
親自身が楽しむこともなく、一生懸命働く姿を見て、
子供も、生きるにおいて、自分も楽しんではいけないと、自己学習したのか
または、子供時に親から「人生楽しむものではない」と
教え込まれたのか、
いずれかが影響しているでしょう。
自分が子供時、親の行動をみて学習したこと、
親から言われ続けたことが
自分が楽しむことができない
「楽しむな」の、楽しむことを禁じる信念に
なっていないか
振り返る必要があります。
そして、「楽しむな」の信念があれば
その信念を、見直していく必要もあるでしょう。
楽しく生きるために。