憎しみと報復の連鎖の夫婦関係
夫婦というものは、人生のパートナー、同志のようなもの、互いに助け合い、共に、楽しく、豊かな時間を過ごす。
理想的ですね。
パートナーから頂いた思いやり、優しさを、また、別の形で返してあげる。
良き、夫婦関係とは、このような感じなのでしょうか。
時には意見の食い違いから、口喧嘩もあるでしょうが、そこは、お互いが話し合えば、分かること。
さて、夫婦とは人生を共にする存在ではありますが、それが、お互いを思う関係性ではなく、憎しみと報復の連鎖という、束縛の関係性に基づく関係性であるとしたら、一体そこには、何の意味があるのでしょうか。
パートナーに対する憎しみに対する感情の基、報復行動を取り、パートナーを痛めつける関係性。
自分がパートナーにされた事に対する、報復行動をパートナーに行い、束縛という名の関係性を維持し、パートナーを苦しめ続ける。
したがって、憎しみと報復の連鎖の夫婦関係の継続の根源は、パートナーに対する強い憎しみの感情なのです。
憎しみに基づく、夫婦関係、その継続、お互いの心が傷つき、ボロボロになるだけではないでしょうか。
そして、憎しみの夫婦関係を継続することにより、自分自身、または、パートナーが心の病気になってしまうかもしれません。
例を書きましょう、妻が何かを夫に願っている。
しかし、夫は何も応えてくれない。
しかし、それでも、子供がいたり、経済的事情から、離婚は切り出せない。
夫は好きな時に、好きなことばかりして、自分を顧みない。
妻は、その事に対して、心の不満をずっと我慢し続けている。
この状態が続くと、人はどのような心理状態になるでしょうか。
期待に応えてくれない、自分を顧みてくれない、自分ばかり我慢している不公平感より、相手に対して、憎しみの気持ちも芽生えることでしょう。
それでも、夫は何も気付かない、もしくは、妻が懇願しても、何も聞き入れてくれない。
憎しみと不満は、増すばかりです。
しかし、夫の好き勝手な行動も、いつか、諸事情によりストップする時がやってくるかもしれません。
そして、その時、妻に何らかの助けを求めるかもしれません。
しかし、妻の気持ちは夫からはすでに離れており、当然、夫の要望に応える気持ちはありません。
自分は今まで、我慢してきた。
今度は、お前が我慢する番だというばかりに、夫の願い、要望を無視し続けることもあるでしょう。
今まで、無視され、我慢し続けた分、それ相応のお礼をさせて頂く、憎しみに基づく報復です。
夫は夫で、なぜ、自分の願いを妻は無視するのか、この時、好き勝手、好き放題していた男は、反省するのではなく、妻に対して、憎しみの気持ちを抱きはじめます。
それなら、離婚だと夫は言うかもしれません。
しかし、妻は応じません。
なぜなら、今までの報復をしなければ、気が収まらないからです。
今まで耐えてきたこと、我慢してきたこと、その怒りと憎しみより、離婚には応じず、夫を徹底的に無視して、心理的に破綻させてやろうと、すでに報復を決意しているのです。
それを受け、夫は離婚は諦め、家にお金を入れない等、さらなる、嫌がらせ、報復に出るかもしれません。
まさに、夫婦関係は憎しみと報復の連鎖によって、成り立っているのです。
この、夫婦関係、維持する必要はあるのでしょうか。
憎しみと報復の連鎖の関係性より、得るものなど何もありません。
時を戻すことは不可能であり、人生と楽しみを失うだけです。
このまま、老後を迎えた先には、密かな、「介護虐待」が待っているかもしれません。