恋愛 パ-トナ-に万能を求め続けることについて
私たちが恋愛の感情に深く浸る時、パ-トナ-に万能を期待する時があります。
では、具体的に万能とは何を期待しているのでしょうか。
これはパートナ-に親の役割を期待しているのです。
パ-トナ-に万能を求めるということは、パートナ-が自分のすべてを満たしてくれるということを期待することであり、幼児が親に期待する感覚なのです。
それは、幼児、子供にとっては親がすべてであり、親は養い手、神のような存在です。
すべてを委ねることが出来、何も言わなくてもすべてを満たしてくれる。このような存在なのです。
では、恋愛においてパ-トナ-に万能を求めるとはどのようなことなのでしょうか。
恋愛には一時的に退行現象が在ります。退行現象とは子供返りをしてパ-トナ-に甘えることです。でも、この退行現象とパートナ-に万能を求めることは違います。
退行現象は一時的であり、パ-トナ-に万能を求める際は永続的であることが多いからです。
退行現象は一時的な気持ちの甘えであり、パ-トナ-に求める万能は求める側の本質なのです。
しかし、過剰にパ-トナ-に自分のすべてを満たしてくれることを期待する。
何も言わなくても自分の思っていることを察して満たしてくれることを期待する。
このようなことは可能なことなのでしょうか?
まずは、無理でしょう。
でも、無理にもかかわらず人によってはパ-トナ-に過剰なまで求め続けるのです。
このような人はどのような人達なのでしょうか。
私が思うのに、彼(彼女)たちは子供時あまり親に求めているものを満たしてもらえなかった人たちと思います。
それは、親に構ってもらうこと、親からの承認や愛です。
どれだけ子供が求めても親が何らかの理由で、真に子供の欲しているもの(自己存在の承認・愛)を満たしてあげなかったのです。
そして、子供は心が満たされないまま成長して、大人になっても子供時と同じように、親がくれなかった、承認や愛等を求め続けているのです。
彼らの自己価値は「自分は親に愛されない価値のない人間」と低く。
自己価値の低さのため、求め続けても親から満たしてもらえなかったためか、真に自分が欲しいもの、自分が必要とするものを、「どうせ言っても無駄」と決めつけ自己表現しない傾向があります。
言っても誰も私を満たしてくれない。
もう、傷きたくない。
でも、人は心が満たされないまま生きていくことは出来ません。
彼(彼女)たちはずっと自分を満たしてくれる人を求めているのです。
それが恋愛におけるパ-トナ-なのです。
しかし、恋愛関係に入り、自分を満たしてくれる人が見つかっても、彼らははっきりと「こうして欲しい」「あれが欲しい」「こうしたい」と自分の希望を表明しません。
そこには子供時と同じく、言っても無駄という思いがあるかもしれません。
また言った結果、求めているものが手に入らず傷つくことを恐れているのかもしれません。
でも、彼(彼女)たちは期待しているのです。
求めているこの気持ちを満たして欲しいと。
そして、パートナ-に親を求め、その親と見立てたパ-トナ-に万能を求めます。
それは「言わなくても分かって欲しい」という期待です。
自分の気持ちを察して欲しいのです。
しかし、パ-トナ-にこのような期待をしてもテレパシ-でもない限り分かりません。
でも、彼(彼女)たちは自己主張することもなく、自分が何を求めているか分かって欲しいと期待しているのです。
そして、パ-トナ-が彼らの期待に沿わない的外れなことばかりすると、失望と怒りから不機嫌になっていくのです。 そうすると、パ-トナ-もなぜ彼(彼女)が不機嫌なのか分からず、パ-トナ-自身も不機嫌になったり、彼(彼女)の態度に怒りを感じるのです。
そして、やがて怒りも頂点に達したパ-トナ-は「いい加減にしろ」と怒鳴り散らすかもしれません。
すると彼(彼女)たちは、それ見たことか。「誰も自分のことなんて分かってくれない」と、まさに子供時親から満たされなかった悲しい気持ちを、ここに再現するのです。
しかし、彼(彼女)たちがこの結果を招いたのは、彼(彼女)たちがきちんと自分の思い、希望、期待をパ-トナ-に主張しなかったからです。
何も言わなくても、察してくれることを期待しているからなのです。
子供時欲しくても満たされなかった気持ちは分かりますが、パ-トナ-は親ではありません。
あなたと一緒に人生を歩む人なのです。
そのためにはお互いが支え合う必要があります。
自分の必要を満たしてもらうならば、パ-トナ-の必要を満たすことも必要でしょう。
これは、お互いが対等な関係性を意味しているのです。
対等な人間関係とは自分の思っていることはきちんと主張して、パートナ-の思っていることもきちんと聞く。この相互理解により成り立ちます。
パ-トナ-に万能を求め、親を求めている間はこの関係性には至りません。
そして、やがては求め続けられているパ-トナ-も自分は相手を満たす役割ばかりと不満を抱き、関係性を終了させようとするかもしれないのです。
もし、この関係が維持されているとすれば、それは共依存の関係です。
片方の側がパートナ-に万能を期待します。そして、もう片方の側は親の役割を果たし続け相手の求めを満たし続けることに満足するのです。
これは、お互いが相手に求めること、求められていることを果たすことに専念して、自分に専念していません。
相手に専念する人生とは自分に専念しておらず、相手の人生を生きており自分の人生を生きていません。
相手に満たされた時に自己価値を感じ、相手を満たした時に自己価値を感じる関係は、相手に自己存在の価値を委ねてしまっているのです。
相手次第の共依存関係で本当に幸せな人生は送れるのでしょうか?