期待は失望から絶望へ そして希望の芽

私たちは辛い時、問題の悩みが深く解決策が見えず困っている時、1人で問題を抱えていては、押しつぶされる不安を感じる時等、誰かに問題の解決に向けての相談、もしくは、解決に向けてアドバイスを得たいと思い、専門家、または、団体等へ赴くこともあるでしょう。

この時の私たちの気持ちは、これで何とかなるのでは、救われるのではと、期待の高さより、少し高揚した気分になっていることも多いと思います。

しかし、相談に赴き、相談員、団体職員等と話しても、逆に、自分の求めている解決先が得られなかった時は、残念な気持ちと失意を感じ、肩をがっくり落とされ、家路に着かれることでしょう。

高い期待が、失望に変わったのです。

でも、この時点においては、人はまだ元気があります。
今回得たアドバイス等は、自分の抱えている問題解決にそぐわなかった、したがって、他に相談出来る人、団体等、もう一度探して、協力を得ようと、また、期待が膨らむのです。

しかし、やはり結果は同じことも多々あり。
また、失意を抱き帰ってくることもあります。

そして、このループを何回も繰り返すと、自分を分かってくれる人はいない、問題を解決してくれる人はいない、納得出来るアドバイスを授けてくれる人はいない、自分は一体どうしたらいいのだろうと、深い絶望を感じるのです。

助けてもらいたい(有益な解決策、アドバイスを求める)高い気持ちは、都度、失望へ変わり、やがて、もうこれ以上相談するところもないと、進退きわまり、絶望の淵へと追いこまれるのです。

この状態に陥った際、大切なこと。
それは、深呼吸をして、絶望の淵(絶望感)より、我に返ることです。

自身が抱えている問題解決に、他者に対して高い期待をしていたが、悩みの解決の全てを、誰か(団体)に、丸投げしていなかったのではないか?

本来、自分で考えることによって、解決に向かって動けるところはあったのではないか?

他者への丸投げへの高い期待が、失望、絶望へと自身を追い込んだのかもしれない。
いや、そもそも、相談に関わって頂いた人、場、団体が、自身の抱えている悩みの相談と不一致だったのかもしれません。

いずれにせよ、自分の抱えている問題の丸投げ、高い期待には注意が必要です
これは、「依存」です。
100%、自分を丸投げして、依存出来る先等、どこにもないのではないでしょうか?

それよりも、気楽な気持で、ちょっとしたアドバイスでも得られたらいいなぁと思い、専門家、団体等と会い、アドバイスを得た後は、そのアドバイスをもとに、自分で考えて動く、この「自立」を優先する気構えの方が、そもそも最初から高い期待を抱くことはなく、それゆえ、失望、絶望のループに巻き込まれることはなく、深く落ち込むこともないのではないでしょうか?

そして、この、「自立」の心境は、依存よりの脱却であり、この瞬間、自分の力で、自分で考えて、前に進もうと意欲も高くなるでしょう。
(もちろん、相談において得たアドバイス等を参考にして)。

すると、今まで考えてもみなかった、方向性、可能性を見出したり、今までとは違う職種の人に、軽くアドバイスを求め始めたり、そこから、今後の生き方、在り方をイメージする事も可能でしょう。

不思議なものです。

依存という執着を手放したとたん、新しい風が入って来て、気がつくと、足元には、「希望の芽」が出ているのです。

そして、希望の芽に出合ったのであれば、その芽を大切に、世話をし続けることです。
これは、あなたの心に比例して、成長して、花を咲かすことでしょう。

焦らず、他者の力も借りながら、自分なりに前に進み、悩みことは多々あるでしょうが、主体的に悩みを解決していくのです。

芽を枯らさないよう、常に志を忘れることなく、前に、前に進みましょう。

他者に対する高い期待は依存となり、依存出来ないと、失望を感じ、また別の他者を探し依存しようとしても、また失望。これを繰り返すと絶望へ向かいます。

他者の力を借りることは問題ありませんが、自分の抱える問題の解決を100%丸投げしても、それを受け止めることの出来る人はいないでしょう。

高い期待は失望につながり、そして、絶望の悲しみを感じた後、大切なことは、自分の力で何とかしようという意欲です。

その意欲が、新しい角度から、新しい可能性、生き方と在り方を見せてくれることもあります。

これが、希望の芽。

希望の芽を見つけたのであれば、花が咲くまで大切に、焦ることなく、育てていきましょう。

それが、深い問題を経験、解決した、真のあなたの姿となるでしょう。

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