強迫性障害について 強迫観念・強迫行動

強迫性障害

強迫性障害について

強迫性障害とは

強迫性障害を患うと考えたくもない考えや、観念に捉われ、その観念を振り払うべく対応で心理的に疲労し、日常生活がスム−ズにいかない状態に陥ります。
そして強迫性障害は必ず強迫観念を伴いますが、強迫行動については、伴う場合と伴わない場合があります。

ではまず、強迫観念とは何でしょうか。

強迫観念とは不安から現実に起こっては困る考えが頭にこびりつき、実際にそれが起こってしまうのではと不安に圧倒されます。そして、あたかも実際に起こってしまうのではといった恐怖感を保持し続けるのです。

そして強迫行動とは、その強迫観念を打ち消す、または、強迫観念が現実化しないように試みる、儀式的な反復行動です。

また、強迫性障害に悩む方は、強迫観念から生じる強迫行動については、自分ではバカバカしい行動をしていると認識しています。

しかし、観念より生じた不安を打ち消すためには、頭に入り込んで離れない強迫観念を振り払うために強迫行動を繰り返して行わざるをえないのです。
侵入もしくは、やらされている感覚を持っています(自我違和感)。

不安から生じた観念を、何らかの行動をすることによって取り消すなどと、バカげていると分かりながらも、駆り立てられるようにその行動を繰り返して行うのですから大変疲れます。バカげていると分かっている行動を駆り立てられるように長時間に何度もしてしまうので、大変なエネルギ−を使ってしまうのです。

では、強迫観念と強迫行動の具体例を見ていきしょう。

強迫観念・強迫行動 具体例

1.洗浄汚染恐怖

洗浄汚染に対する恐怖は圧倒的に多いと言われています。

例えばトイレに入ってもドアノブが触れない。
なぜなら、誰が触ったか分からないドアノブは汚くて触れないのです。
また、外から帰って家に入る時、外は菌に満ちあふれているので、家に入る時は外の菌を家に持ち込まないように考えます。
そして、その強迫観念に対するために様々な防衛行動を行います。

ドアノブに触れない人ならば、ビニ−ル手袋を用意して、手袋をはめてドアノブに触れ、ドアノブについている菌から自分を守るでしょう。

また、外からの菌に怯えている人は家の玄関で服を全部脱ぎ、すぐにシャワ−を浴びたりまたは、手洗いをする(洗浄)でしょう。
シャワーじたいは問題ないのですが、問題は何時間にもわたり菌を落とそうと、シャワ−を浴びたり、洗浄することです。
10分間シャワ−や洗浄しても、まだ、菌がついていると感じ、1時間でも2時間でもシャワ−を浴び続けたり、手を洗い続けます。

したがって強迫性障害の人は、菌は落ちた、いや、まだついている等の自問自答を繰り返し、結局は、菌はまだついているという不安に負け、バカバカしいとは思いながらも、更にシャワ−を浴び続けたり、手を洗い続け、観念との闘い、長時間の洗浄でクタクタになってしまうのです。

2.儀式的反復強迫行動

  1. 縁起恐怖
    不安から観念に襲われ、それを振り払うべき行動です。
    儀式的反復強迫行動は人によって様々です。
    私の場合は起こっては困る、何か嫌なことを考えてしまった場合は、その考え(観念)を頭から洗い洗い流すために、手を洗いました。
    しかし洗っては、また考え、洗っては、また考え、手洗いだけに相当な時間が費やされてしまいました。
  2. 確認恐怖
    家を出る前に何回も玄関の鍵を閉めたか確認をする。
    通常は2回ぐらい確認をする人はいますが、確認恐怖の人は、鍵を開けては閉め、これを10回以上繰り返します。

    また、鍵を閉めるたびにドアノブをガチャガチャと何回も回して引っ張り、鍵がかかっていることを確認します。
    何回も同じように鍵が閉まっているか確認行動をするので、その反復行動はまるで儀式化しているのです。

先に書きましたように儀式的反復強迫行動における、反復儀式は人によって様々です。
共通していることは、なんらかの不安から観念がこびりつき、その観念が現実のものになるのを防ぐために、その人にとって意味のある儀式を延々と行うことです。

3.想像型強迫観念

強迫性障害において強迫行動を伴わない例です。
自分がノコギリで人を襲ってしまうのではないか。
人に対して失礼なことを言ってしまうのではないか、また、言ってしまったのではないか。
頭の中で延々と問答して悩み続けます。

では、これら強迫性障害における共通点は何でしょうか。

人によって様々な強迫性障害ですが、発病における共通の因子はあるのでしょうか。
私が思うに、強迫観念の基となるものは、自分が失っては困るものが背後にあり、その恐れが強すぎるのではないかと思います。

例えば、洗浄汚染恐怖の人でしたら、自分に菌がつき自分が感染して自分の健康に影響する。
ここで失ってはならないものは自分の健康です。また、こうも考えられます。菌が自分についていると自分の家族まで、自分の持ってきた菌によって病気になってしまう。
ここでは、家族の健康を失いたくない思いがあります。

儀式的反復強迫行動の人の場合、私の場合では頭で考えた嫌なこと(守りたいものを失うこと)が起こってしまうことを避けようとしています。
確認恐怖の人は自分が家を施錠し忘れたために、泥棒に入られる等、家の安全や家財を失うことを恐れています。

想像型強迫観念の場合、ノコギリで人を傷つけてしまう場合は自分が人を傷つけてしまい自分が社会的に制裁を受けること。
また、人に対して失礼なことを言ってしまうのではと恐れている場合は、失礼なことを言って自分が周りから無視されたりと社会基盤を失うこと。

重要なことは、自分の大切なものを失いたくないという気持ちが強すぎるのです。

彼らの場合(私も含めて)は、この気持ちが度を越しているのです。
言い換えると、頭の中で不安の世界を勝手に作りあげ、それに何とか対応をしようとしているのです。

頭の中の世界ですから、勝手に膨らんだり、こびりついたりと大変です。
それに対抗しようと強迫的に行動をするのですが、頭の中で考えれば考えるほど、ますます観念が強まりそれに対抗するべく行動の堂々巡りになり、ついには心理的にも疲れ果て、また、日常生活にも支障をきたすのです。

※心理的に疲れ果て、また脳も疲れ果てます。したがって何も考えられない状態に陥り動く元気もなくなってしまいます。

次のページ 原因と特徴

関連記事