今の私(心理カウンセラーとして)

今の私

2002年7月~2013年3月

会社退職後の私の性格の問題は、自信及び自己信頼感の欠如でした。
また生活面では退職後仕事も決まらず、この先どうなるのだろうかと、不安な日々を送っていました。
(男性事務職14年3ヶ月のキャリアは転職スキルとして評価されなかったのです)

さて、私自身、会社退職時は、心理カウンセラーとして活躍したいと夢を描いていました。
心理カウンセラーの資格も退職前に取得していました。

しかし、すぐに心理カウンセラーとして活躍することは無理であると分かっていました。

したがって、心理カウンセラーとして仕事をする前に、キャリアカウンセラー(就職支援のカウンセラー)として公的機関に雇用され、安定した収入を得ながら、徐々に心理カウンセリングの仕事も始め、数年後は心理カウンセリングのみで生計を建てたいと考えていたのです。
キャリアカウンセラーの資格は退職後すぐに取得しました。

しかし生来の不安な性格のため、心理カウンセラーとして仕事をすることも、キャリアカウンセラーとして仕事に就くことも無理ではないかと思いはじめ、退職早々再就職活動を始めました。

しかし不思議なもので、この年の秋(2002年)、キャリアカウンセラー資格取得に際してお世話になった先生から、「12月から島根県で就職支援のカウンセラ−を募集している。期間は翌年3月までだがやってみないか」と声がかかりました。

一瞬悩みました。
求職活動はどうするのか。
島根県に行っている間に、いい求職情報を逃すかもしれない。
しかし、今、このチャンスを逃したら、一生心理カウンセラ−にはなれない。
例え3月まででも、この仕事は受けるべきだと思い、思い切って受けました。

まさに、人生の方から私に対して「心理カウンセラ−になるのか、ならないのか」と、問いかけをしてきた瞬間でした。

その後、この島根県での仕事のキャリアを活かし、2003年秋から兵庫県の公的機関において就職支援のカウンセラ−として平日は勤務。
同時に2004年3月、心理オフィス ステラを先生のルームを借りて週末の夜のみオープン。
心理カウンセラーとしても仕事を始めました。

2010年には兵庫県における就職支援の仕事も期間満了にて終わり、その後は心理オフィス ステラ、心理カウンセラーとして大阪市内のルームで日々心理カウンセリングに励んでいます。

退職をして得たものは、自分の人生を切り開いていく力と、やれば出来るという信念です。
そして、決断をする自信です。
子供の頃、積極的にチャレンジ出来ず培えなかった、生きるうえで大切な力、自信、自己信頼感をやっと獲得出来たのです。

今では過去のしがらみより解放され、自分に誇りと自信、そして夢を持っています。
退職して一旦は収入を失いましたが、それと引き換えに、自己信頼感、勇気、生きる力を獲得したと思っています。

そして、私の暗い過去であった、自己信頼感欠如、強迫性障害、対人不安、心理的ひきこもり、社会性欠如、コミュニケ−ション力欠如、退職時の辛さなど、これらの体験が、今では絶対的な価値あるものとして、カウンセラ−として大きな力となっています。

会社退職時から様々なことを体験しました。
でも、すべては私を心理カウンセラーに導く必然の体験、シンクロニシティであったと思っています。

そして、2013年2月に結婚。
私は私の夢を叶える、幸せな人生をおくっているのだと実感しています。

⇒⇒ですが、どうも、私は人生において、もう一苦労しなければならないようです・・・。

2013年4月~

何か不安を感じつつあります。
会社退職後より前進することばかり考えてきましたが、この時、はじめて漠然とした不安に揺らされ、人生に対する違和感を考えはじめました。
理由は分かりません。

7月

ついに不安の身体化症状がはじまりました。
すなわち、何をしていても体が不安を感じているのです。
何も考えていなくても、何もしていなくても、体が不安を勝手に感じ続けるのです。
脳が勝手に不安を煽っているようです。
強度の不安神経症です(心療内科の診断による)。

9月

ついに、思考がほぼ停止。
寝込みはじめました。うつ状態。

11月

逃げるように、大阪市内から大阪府内他市へ引っ越し。
でも、引っ越しをして思いました。
このまま終わっていのか?
今までは何であったのか?

2014年1月

カウンセリングを再開。
頭も体も、完全には回復したとは言えませんが調子は上向き。

しかし、その後状態はよくなってはいるのでしょうが、思うほど回復しません。
未だ絶望感、自分を責める気持ちも強く、また不安を勝手に感じます。
そしてついに、飛び込みたい、飛び降りたい衝動が出てきました。
このことについては、心療内科で不安を抑える薬、レキソタンを頂き乗り切りました。

7月

ご縁のある方と出会い、ルームをお借りすることが出来ました。
この出会いはシンクロニシティの介在でしょう。
カウンセリングを再開。

⇒さて、これで、落ち着くのかなと、思っていたら。人生そんなに、甘くない。

9月

母が病院内で急に亡くなる。腰痛の手術で短期入院の予定でした。
相当なダメージを受ける。3か月、仕事を休む。余裕を持って、人の話しを受容的に聞ける状態ではなかった。

2016年3月

今までのストレスより免疫力が落ちたのか、腸の炎症より、2週間入院。1か月、仕事を休む。

5月

心、気持ち、精神、落ち着きを取り戻す。
しかし、まだまだ続く。

2018年5月

実は4年前(2014年)の4月より、急に口の酸味を感じ、口内に違和感がありました。
酸味は年ごとに酷くなり、常に冷水を飲む状態が続きました。
昨年秋以降(2017年)は就寝中も水を飲むために起き、トイレに行くこともしばしば。
多尿、口渇、多飲。
大阪市内の大病院にて、下垂体性ADH分泌異常症(指定難病)と診断。
今でも、口内の酸味は続き、冷水は欠かせません。

2018年7月

大敗。
大阪府隣接県僻地へ引っ越す。
風土、人、何にも馴染めず、ひきこもりになる。
しかし、循環する体内エネルギーは感じており、本当は活動したい。
でも、居場所が持てず、活動の場を得ることも出来ず。
僻地の部屋にずっとおり、現実逃避、怒りを鎮める為、朝から大量の飲酒を日々繰り返す。
1年近く、ほとんど飲んで、寝ていた。
しかし、この経験もカウンセリングに活かせるでしょう。

2019年6月

大阪市内へ戻る。

さて、いろいろとありましたが、それはそれでいいのでしょう。
私は人生を問いません。
私は私自身を問うだけです。

人生における経験は、必然的に起きている。
そう、考えることにします。

ただ、ここ数年の様々なことから蓄積された疲労は、慢性的な疲労となっており、すぐには、全回復とはいかないでしょう。

私は人生において、二度、這い上がり。
これより、三度目を目指します。

1 子供時からの生き辛さの克服 社会性、自信の獲得
2 会社退職後 ゼロ、無収入から心理カウンセラーを目指す
3 望まない、多々の経験でダウン。再度カウンセラーとして復帰を目指します。

2019年9月

心理カウンセラーとして復帰の決意。
いつ軌道に乗るかは、運に任せる。

私について