睡眠剤とアルコールの乱用

人とは何かに、依存しないと生きていけないものなのでしょうか?

依存と聞くと、皆様のイメージするものは様々でしょうが、よく耳にする言葉としては、アルコール依存、薬物依存、ギャンブル依存、ネットゲーム依存、恋愛依存等々ではないでしょうか?

では、なぜ、人は何かに依存するのでしょうか?

原因は人、様々でしょう。
でも、共通因子はあるかもしれません。

不安、ストレス、怒り、悲しみ、孤独、退屈、ストレス、時間を持て余す等々。
これらの、感覚の苦痛から救われたい、または、感覚を麻痺させて苦痛を和らげたい、さらには、強い快感、快楽を味わいたい衝動から、人は依存に走るように思います。

そこには、現実逃避の一面も見え隠れしています。

そして、依存の恐ろしさとは何か?

これは、その依存の対象がなければ、自分が生きていけないいような感覚に陥ってしまう事にもあるように思えます。
そして、さらに、自らの意思を超え、脳が勝手に依存対象を欲する、コントロール不能の状態に陥ることも懸念されます。

そして、依存対象から得られる様々な感覚は、その感覚を味合うために、私達の健康を損ない、脳を蝕み、感情の混乱を生じさせ、理性を破壊し、判断能力を鈍らせ、さらには、暴力、暴言、人間関係のトラブル、仕事における大きなミス、借金等、人生を狂わせるかもしれません。

また、自分が依存症と認識しており、明日から依存行為をやめようと思っても、脳が勝手、依存対象を欲するので、依存対象に手を出すことは、意識ではコントロール不可の状態に陥ることもあるでしょう。

いずれにせよ、依存の罠にはまると、そこから抜け出す、回復・克服は困難な状態に陥る事も多々あります。

私が睡眠剤依存とアルコール多飲に陥った経緯

2018年7月より、私は僻地に引っ越しました、閉鎖的で、嫌な思いしかない町であり、ずっと家にこもり、ある種の依存(違法性はありません)にはまっていました。

お恥ずかしい話しですが、僻地では睡眠剤とアルコールの併用、乱用をしておりました。
(この時期は、当然、カウンセリングは全く受け賜わっていません)。

しかし、当時、その依存に頼らなければ、生きていくことが難しい状態だったのです。
私は僻地で、その対象に依存していたことを責める気はありません。

アルコールに関しては、20歳から飲酒をはじめており、少し多飲傾向にあるかなと思っていました。
そして、睡眠剤の乱用(1ヵ月で2ヵ月分服用)については、アルコールの強化を強め、閉鎖的で、気力もなく生きている僻地での生活から、現実逃避したい気持ちが強かったのだと思います。

自己破壊的な行為であるとは認識していましたが、意識を持っていたところで、何もする事もなく、家にただいるだけ、生きているだけ、したがって、意識そのものが邪魔である、意識が働くと嫌な思いしか感じない、意識を吹っ飛ばすために、朝から睡眠剤とアルコールを飲み、1日中寝ていることが多かったです。

先にも書きましたが、自己破壊的な行為、依存ですが、僻地で生きる為には、私には、それしか方法がなかったのです。

嫌な現実からの逃避行動ですが、それで、命をつないでいたのです。
あの僻地で生きるには、薬物(睡眠剤)とアルコールに依存するしか方法がなかった。
だから、当時の行動を、今でも私は責めません。

しかし、僻地から大阪に戻った、2019年6月に、さっさと睡眠剤依存を断ち切れば良かったのですが、当時の私はそれを依存と認識していませんでした。

これが、依存の恐ろしさです。

自分が自分を依存症者であると認識出来ない。
何も考えていませんでした。

心理カウンセラーなのに、依存に対する甘さ、我ながら情けないと、今振り返ると思います。
しかし、心理カウンセラーとはいえ、実のところ単なる1人の人間。

そして、ある日、気付いたのです。
この対象(薬物:睡眠剤多用)に依存していれば、いずれ脳が崩壊すると。

そして、意を決っして、睡眠剤に依存することを止める決意をしました。
アルコールは適度に飲んでも構わないと考えていますが、薬物だけは止めなければなりません。
正直に精神科医に相談、睡眠剤の種類を変えて頂きました。
(これは、ある種の睡眠剤、その成分に依存していたわけであり、異なる成分の睡眠剤を処方して頂きました)。

依存からの脱却 離脱症状の苦しみ

あらゆる依存症に言えることかもしれませんが、依存の対象を一気に断ち切ると、当然、反動の現象が起こります。
これは、離脱症状の苦しみとも言えるでしょう。

私の場合もそうでした。

・自分が生きている罪悪感
・今まで心ないことを言ってしまった人に謝罪の電話、メールを送信。
(あの世へ旅立つための、みそぎの行為、この行為の意味は後日理解しました)
・感情制御力の低下、自己制御力の低下、なぜか分からないけど悲しくなる
・短期の記憶の欠落
・文字を読んでも理解不能

これらの症状は、3日程がピークであり、1週間程で症状は治まりました。

依存を一気に断ち切ることは、このような離脱症状に襲われ、猛烈な苦しみを味わうことにつながることもあるのです。

依存からの脱却。
これは、依存の対象、依存期間によっても違うのでしょうが、離脱症状とはおそろしいものです。
(尚、私が薬物(睡眠剤)を多用していた期間は、1年程です)。

依存から抜け出すために

私の経験だけでは、説得力にかけますが、私の理解する範囲内において、書かせて頂きます。

依存から抜け出すため、回復するため、健全に生きるためには、依存を止めることです。

依存を止めるために一番良い方法は、依存の対象から離れること、近づかないことです。

これは難しいことかもしれません。

なぜなら、自分が生きるために、その依存対象が今まで必要であったのですから、それをすぐに手放すことは出来ないかもしれないでしょう。

しかし、健全な人生を送るためには、依存からの脱却は必要不可欠です。

では、誰に相談をして、依存からの回復をサポートして頂くのか。

・精神科(入院含む)
・心理カウンセラー(?)
・自助グループ(お勧めです。仲間がいることは心強さにつながります)。
等々。

薬物依存症 専門家の見識より

私の処方箋薬依存症(睡眠剤依存)について
「薬物依存症 松本俊彦著 ちくま新書」
より関連と思われる内容を、抜粋引用させて頂きます。

作用からみた見た薬物の種類

・中枢神経抑制薬
この薬物の代表は何といってもアルコールです。
中枢神経抑制薬を大量に摂取して血中濃度が高くなった場合には~中略~、その結果、眠気に圧倒されて足もとはふらつき、立っていることはもちろん、意識を保っていることさえむずかしくなり、とにかくどこでもいいから倒れ込んで横になりたくなります。

(これは、私が僻地で味わった感覚、朝から意識を吹っ飛ばして眠っていたい)。

(その他、作用からみる薬物としては、中枢神経興奮薬、幻覚薬の2つの作用があるようですが、これは、私には関係ありません)。

人からの承認こそ最大の報酬

人間の報酬系に最も必要な快感は「人からの承認」であり、これが不足していると、薬物の誘いや、薬物が引き起こす快感に対して脆弱になる可能性がある。

(私は本HPにおいて、人とは社会性の動物であり、居場所が重要であると何回か書いています。その居場所においてどのように活動をするのか、そして、人間関係を築くか。自己の活動から他者より承認され、自己肯定感も高まり、それが、明日への活力へともつながる。
残念ながら僻地においては、何もなく、孤独であり、当然、人からの承認、報酬もありませんでした。だから、閉じこもった)。

睡眠薬・抗不安薬

精神科などでの治療で処方される睡眠薬、抗不安薬は、いまや覚せい剤に次ぐわが国第二位の乱用薬物となっています。
睡眠薬・抗不安薬乱用者は、これまでわが国には存在しなかった新たな薬物乱用層といえます。

覚せい剤依存症患者との、最も重要な相違点は、薬物使用動機の違いです。
覚せい剤依存症患者の多くは、少なくとも本人が自覚しているかぎりでは、「刺激を求めて」、「誘惑されて」といった、刺激、快楽希求的な動機から使用するのに対し、睡眠薬、抗不安薬依存患者の場合は、「不眠や不安を軽減するために」「抑うつ気分を改善するために」といった、苦痛を緩和する目的から使用する人がほとんどです。
このことからわかるのは、たとえ何らかの快感をもたらさなくとも、「耐えがたい苦痛を緩和してくれる効果」があれば、その薬物は十分に人を依存症にさせる危険性がある、ということです。

(まさに、私は僻地で味わった閉塞感、耐えがたい苦痛を麻痺させるために、アルコールと睡眠剤を乱用していたのです。医学的裏付けがとれました)。

最後に。
心理オフィスステラでは、依存症の治療、回復のカウンセリングは受け賜わっておりません。
アルコールについては、規則正しい生活をすれば、私の場合、適度に休肝日を設けられます。

さて、今回の記事は、発信することに躊躇しました。
心理カウンセラーとして、この経験を発して良いかのか悩みました。
しかし、私とHPは不可分の存在、それに、これは貴重な体験と思い、依存で悩んでいる方の参考、一助となればと思い、書かせて頂きました。

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