父編 ラストコンタクト 思い出をありがとう
父は2月に余命1ヵ月の宣告を受けた後、奇跡的に回復をして3月中旬、いったん退院しました。
その後、抗癌剤治療を受けましたが、小細胞癌の転移スピードは早く、6月中旬、再度入院の事態になりました。
〇父への最後の言葉 6月30日(水)
昼から京都のヒーラーに会うために出かける。
私の今後や父のこと等について話す。
ヒーラーより、いつもクライエントの方の変化の「可能性を信じて」セッションを行っていると伝えられた。
確かに。
セッションに限らず、どのような時でも、「可能性を信じる」ことは大切だと思う。
セッション終了後。
父の入院している病院に見舞いに行った。
少し話す、随分弱気になっているなと感じた。
病室を出る直前、私は「よくなる可能性を信じて」と父に言葉をかけた。
私が父に伝えた最後の言葉。
父は心が動いたようで、泣いていた。
そして私が病室を出る際「また来てや」と一言。
この言葉が、父から聞いた最後の言葉となった。
しかし不思議だ。
私が京都のヒーラーから聞いた「可能性を信じて」、この言葉を、即父に向かって伝えるとは。
そして、私は感じた、私が見舞いに行くといつもは「忙しいだろうから、来なくていいよ」と言っていたが、今日に限って「また来てや」・・・。
おそらく自分の運命を感じていたのであろう。
〇最後のコンタクト 7月8日(木)
ここ数日、父の意識は混沌としている。
ベッドから無意識ではあろうが、起き上がろうとして、少し体は起き上がるが、結局は倒れてしまう。
しかも何度も何度も起き上がろうとしては倒れる。
意識は混沌としながら、何度も起き上がろうとしては倒れていたが、奇跡が起こった。
起き上がろうと体を起こした瞬間、私と目が合った。
そして私の方に手を伸ばしてきたのだ。
そして握手をする。
また父は倒れる。
でもまた起き上がろうとして体を起こして、私に手を伸ばしてくる。
3回父と握手をした。
一瞬意識が戻り、私を認識したのだと思う。
しかし、その後はまた体を起しては倒れる、これの繰り返しであり、私と目が合っても、もう私は目の中に入らないようだ。
この握手3回が、父との最後のコンタクトとなった。
その数日後、永眠。
父とは45年のお付き合いでした。
〇父の最期 シンクロニシティを振り返って
父の最期を巡る私の話しは、今年1月、京都のヒーラーとの出会いよりはじまっています。
ヒーラーとの出会いは、父の最期に際して、私が平静さを保つために出会ったのかもしれません。
実際、父と最後の言葉を交えて以降、ヒーラーとはお会いしていない。
出会った直前は何のための出会いかは分かりませんでしたが、振り返ると、やはり必然の出会い、シンクロニシティ。
また、父の余命についても、医師の診断より、2人のヒーラー(京都・大阪)の方が的確であったことも、私には不思議でした。
いずれにせよ、ヒーラーにお世話になったお蔭で、私は心乱れることなく、いることが出来ました。
また、仕事については、月~金勤務の若年者就職支援の仕事を退職。
心理カウンセリング(心理オフィス ステラ)、一本に、2010年4月より、専念しました。
この年、2010年は節目の年だったのでしょう。
〇今は2017年、10月末。
父との思い出、小学1年、2年の京都御所でのセミ取り。
父との、この想い出が、悲しいほど、なつかしい。