親の期待には一切応えない

高校、1年生頃でしょうか。
私は親(父、母)に対する、怒りが頂点に達し、以降、
「親の期待には一切応えない」
そして、「話さない」と決めました。

それは、子供時から続く、親の私に対する接し方に問題が多々あり、また、私の中では親に裏切られた気持ちが強く、許せない。

私にとって、親が私に期待を抱くということは、私の境界を侵害する行為であり、もう、親の言うことは、どうでもいいと強く思った。
そして、親に対する怒りを抱く日々がはじまったのです。

怒ると言っても、暴言、暴力はありません。
ただただ、睨みつける、話さない。
これを繰り返しました。
私のせいで、家の中は独特の雰囲気になったと思いますが。

私の中に入ってくるな、これ以上の干渉は許さん。
鉄壁の境界を、親に対してひいたのです。
これは、「親に対して近づくな」という、警告のメッセージでもあるのです。

そして、以降親と話すことはなくなり、家ではずっと黙り続け、部屋を聖域とした大人へと成長していきます。

しかし、不思議なもので、親に対して「近づくな」という態度を取る、これは親からの干渉から、自分を守っているのですが、親以外の他の人に対しても、「近づくな」という雰囲気をまき散らしはじめてしまいました。

親から自分を守る方法を、無意識ですが、社会においても実行してしまうのです。
このことは、多くの機能不全家族の出の方が経験されていると思います。

さて、
親とは話さない。
親の期待には一切応えない。
近づくな。

きつい言葉を連発していますが、でも、本当は私は優しい子供だったと思います。
父の日、母の日には必ず、プレゼントを渡したり、親の満足のために自己犠牲も払いました。

しかし、ことごとく裏切られた。
私のこと、私の気持ちを、まったく理解してもらえなかった。

親の心、子知らず、と言いますが。
子の心、親知らず、とも言えます。

そして、この決意の後、ほとんど家族間の会話がない状態で、時が進むのです。

時は進みます。
しかし、私と親の関係性は止まったまま。

私はずっと怒っていた。
激しい怒りではなく、バチバチとした、私の中で静かに燃える怒り。
この30年後、親との関係性も終焉を迎えていきます。

成人しても、ずっと怒っていた、私にも問題はあるのでしょう。
怒っていたこと、そして、決めたことは徹底的に実行するという、私の頑固さもよくなかったと思います。

何とも虚しく、どうしようもなかった、親子関係だったなと、最近よく思い返します。

楽しく豊かな、親子関係ではありませんでしたが、この関係性だからこそ、学んだことも多々あるので、そのことを大切に、これからを生きていきたいと再認識しています。

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