親に対する最初の激怒
私は父のことが好きでした。
それゆえ、真逆の感情、怒り、憎しみの感情も強かった。
親に対する愛と憎しみ、最後は怒りが勝ってしまいましたが。
私が人生において最初に激怒したのは、小学生6年です。
激怒といっても、私は大声を出したり、暴れたりはしません。
頭の中で怒りのエネルギーが、雷のように鳴り響き、相手を睨みつける。
私は幼稚園からピアノを習っていました。
私はピアノを弾いて楽しいと思ったことは、一度もありませんが、なぜか、父が私のピアノに執着して、音楽家にしたかったようです。
このことを父に尋ねたことはありせんが、小学生の3年生より、音楽大の助教授にピアノを習いに行かされたことより、何となく、分かります。
音大の助教授に習う前は、まださほど、ピアノを弾くことは苦痛ではありませんでした。
それは、先生のレッスンも優しく、頑張る必要もなかったからです。
しかし、変わった先生は音大の助教授、それなりのものを求めてきます。
小学3年生の日曜日は毎週レッスン。
それまでの日曜日は父と遊びに行ったり、楽しかったのに、暗転。
それでも、父の言葉、「ピアノはやめてはいけない」に従い、文句を言わずに、感情抑圧、ロボットとなり、指を動かし鍵盤を押し続けていました。
また、父は20時になるとピアノの横に座り、私にピアノを教えるのが日課でした。
(実際、父よりも私の方がはるかにピアノは弾けます)。
私の意識、心の中では、このピアノは父のために習っている、弾いている、苦痛を感じているという思いが強く、ピアノを弾くことに関する私の意思はまったくなく。
ただ、ピアノをやめたら父が悲しむだろうと思い、その、やめたいが言えず、習っていました。
さて、小学生6年の時、引っ越しの話しが出てきました。
どこに引っ越すか。
それが問題なのですが。
この時、父が一言いました。
「はじめ(私のこと)のピアノがあるから、引っ越し先の範囲が限定されるなぁ」と。
私はこの言葉に激怒しました。
黙ってはいましたが、激しい怒りが頭の中を駆け巡ったことを覚えています。
本当は、「誰のために弾いてると思っとんじゃ。お前のためやろ、ボケ」。
これぐらい、怒鳴りたかったのですが。
以後、私も思春期を迎えたことも一要因なのか、父との距離は遠くなり。
母同様、話すこともなくなり(母に対しては意思疎通不可の為)、怒りと憎しみ。
この感情に覆われていたように思います。
私がこれだけ嫌な思いをして、ピアノのレッスンに通っているのに。
何も理解出来ない父。
このまま、私と父の45年間は終わるのですが。
やはり、父のことが今でも好きなのでしょう。
後悔。
もっと話しておけばよかった。
私は父のことを何も知らないのです。
これは、虚しいことです。
子供時、父に「ピアノをやめたい」と言ったら、父はピアノをやめることを快諾したのであろうか?
親が子供に習い事をさせる時は、子供が何を思い、感じ、考えているか、この会話がないと一方通行であり、その後の親子関係に影響します。
子供とは親の顔色、気持ちを勝手に判断して、無理を続けて、取り返しのつかないことになることもあるのです。