これは意味ある偶然か

昨年の春のことです、腸に激痛が走り、病院に行ったら、即入院でした。
10日間の絶飲絶食、点滴生活で無事退院しましたが。

さて、退院した直後、仏壇の仏花を買いました。
黄色の菊のつぼみがついていました。

今までの経験上、仏花の菊のつぼみが綺麗に開くことはなく、途中で枯れてしまうことが多いのですが

何と今回は、菊のつぼみが、大きく花を開かせ、1週間以上、その美しさを示していたのです。

私の退院に対する、先祖からの喜びのメッセージでしょうか。
以前私は占い師より、先祖の加護の強い方と言われたことがあります。
そう、菊のつぼみの開花を通して、先祖が喜びのメッセージを送ってきたことは、考えられます。

いや、しかし待てよ。
お前は少し前に、現実認識力を高めよとHPに書いたではないかと、批判的に思われる方もいらっしゃることでしょう。

現実認識力。
大切です。

しかし、私たちを取り巻く世界は、理論や化学だけでは説明出来ない事柄が多々あることも事実です。

例えば。

偶然。

私が退院をして菊のつぼみが開いた。
こんなことは単なる偶然だと、解釈することは妥当です。

でも、これは先祖の加護、メッセージであると、解釈することも出来るのです。
否定する根拠も、肯定する根拠もありません。

起った偶然をいかに解釈するか。
それは個人の自由です。

人生の味わい、彩から、偶然について考えてみましょう。

退院をして買った仏花の菊の花が見事に開いた、これは先祖の加護であると考えた方が、人生の色彩が増えませんか?

偶然をいかに解釈するか。
この解釈によっても、人生は変わってきます。

偶然に意味はあるのか、ないのか・・・。

しかし、私は偶然とは必然であり、そこに意味があると思っています。
(もちろん、何の意味のない偶然もありますが)

偶然をいかに解釈するか、意味ある偶然、意味のない偶然。
判断はその偶然を経験した本人です。
偶然をいかに解釈して、意味を与えるか、偶然の解釈は個人的真実なのです。

そして、その偶然の出来事から何か・・・と感じるのは直感力です。

私たちが生きるためには、現実認識力(何が本当か識別するむ能力)を鍛え、直感力を磨く必要もあるのでしょう。

これが、人生の豊かさにつながるヒントかもしれません。

また、私は現実認識力を唱えながらも、最終決断は、案外、直感に従います。

直感力の上げ方、磨き方は、各々皆様でお考えください。
それは、1人1人メッセージの受信のしかたが違うため、心理カウンセラーである私には、その奥までは分からないのです。

関連記事