クラスでの自分の振る舞い

先日、ふとある集まりの場で体験しました。
そして、思い出しました。

10人程度の人の集まりで、あちらこちらから話し声、音が聞こえてくるのですが、私にとって、この場は居心地の良いものではなく、がやがやと聞こえてくる話し声、音も、聴覚にフィルターがかかったようで、具体的に何を話されているのかに意識を向けることはなく、すべてが、漫然として、私には具体的には、何も届かない状態でした。

耳にフィルターがかかっているので、すべての音が漫然としているのです。
そしてこれは、自分がその場に居て、居ないような感覚です。
自分の気配を自分で消し、意識はぼんやりと、眠たくなってきます。

以前、この感覚は感じたことがある。
これは昔懐かしい感覚だと、思い出しました。

小学生高学年、中学生、高校生とクラス内での自分の在り方でした。

教室内で誰とも話すことはなく、1人でずっと机を前に、椅子に座って、時間が経過するのを待っている。
周囲(他の教室の人)の話し声等は、聞こえてはきているけど、ぼんやりとしか聞こえてこない、何を言っているのかもわからない。
そして、感覚、気持ちも動くことなく、ただただ、じっとそこに座っているだけ。

これが、学校内。クラス内での永続した、私の行動パターン、心理的ひきこもりの1つです。

私は教室内では動くことなく、居るだけの存在であり、石か何か、添え物のようなものだったのでしょう。
もしかしたら、邪魔者だったかもしれませんが。

そこに居るけど、居ない感覚。
これが、子供時、青年時の私です。

でも理解しています。
音を遮断、耳にフィルターをかけないと、誰が何を言っているのか等、些細なことが気になり、対人過敏になってしまったことを。

クラス内で、何も感じないように居ることにより、外に意識を向けることなく、内にこもることにより、自分を守ったのだと。

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