残念な親子関係の原因ピアノ その成果 

私は4歳ぐらいからピアノを習わされていました。
なぜ、ピアノを習わされたのか、理由は分かりません。

最初は母が私にピアノを教えていたのですが、感情の制御が出来ず、私を叩きまくり、自分でも叩き続けることを、止めることが出来ず、自分が恐ろしくなったのか、私にピアノを教えるのを父に変えたそうです。

小学生時、父が横についてピアノを教えくれていたことは記憶しています。
しかし、私はピアノが嫌いで嫌いで、好きになれなかったのですが、父のことは好きだったので、父のためと思って、ピアノを中学2年生ぐらいまで習っていました。

このピアノを嫌という感情を抑えて、ずっとピアノを習う、ロボットのように鍵盤を抑えて弾き続けていたので、私は感情表現のない、暗い表情の自己抑圧的な青年となりました。

父はピアノ、ピアノと言い続けていたので、私は父を悲しませたくなかったので、ピアノをやめたいとは言えませんでした。
それに、父はピアノを絶対にやめてはいけないと言い続けていました。
だから、やめたかったけど、やめられなかった。

それに対して母は、ピアノをやめて勉強しろと、父とは矛盾したことを私に要求してきました。
母は私がピアノを嫌々習っていることを知っていたのに・・・。

子供に対して、父と母が矛盾したことを要求すると、子供は混乱して、ますます、自分を抑え続ける傾向が高まります。
(逆に怒りを爆発される子もいますが。私も一度だけですが、小学生高学年時バットを振り回して、部屋のドアに穴をあけたことがあります。この時は感情の制御が出来なかったのでしょう)。

そして、ある時、私は母に言いました。
「ピアノをやめたい、先生に連絡して欲しい」
しかし、母は何の対応もしませんでした。
⇒自分勝手な人だなと確信しました。

ピアノを巡っては不思議な気持ちです。

私は父のことが好きでビアノを習い続けましたが、結局は意味のないピアノを長年押し続けられた結果、父に対しても憎しみの気持ちを抱くようになってしまった。
父のことを想っていたのに、逆の結果となってしまった。

それに父もしつこかった。
毎晩20時にはピアノの横に座って、私がピアノを弾くのを教えたがる(実際技術は私の方が上なので、父は私がピアノを弾くのを見ている)。
しかし、思春期の少年の横で、父親がべったりしている。ちょっと異様な光景です。

そして今でも、ピアノに関しては、父と母が真逆のことを私に要求したことは納得していません。
おそらく、夫婦で向き合う力がなかったのでしょう。
しかし、子供を犠牲にしてはいけない。

ピアノなんか習わさなければ、父とはもっと仲良くなれただろうに。
残念です。
でもなぜ、父がそこまでピアノにこだわったのか、未だに謎です。

さて、ピアノを習い続けて良かったのは、私が自己抑圧的な人間になったことです。
生き辛いことでもありますが、
これは、言い方を変えると、自己制御力の高さと言えます。

実は私には気性の激しさもあります。
これは、母譲りと思っています。

私と母は、50年間睨み合う関係でした。
私は母に暴言を吐いたり、暴力を振るったことはありません。
これは、感情制御、自己制御力が高かったおかげでしょう。

しかし、渾身の怒りを込めて、ふすまを穴だらけにしたことはありますが・・・。

私は成年時から、そして今でも感じる、激しい怒りの感情を適切にコントロール出来るのは、ピアノから学んだ自己制御力のおかげです。
したがって、私は衝動的に何かをすることはほとんどありません。
また、怒りのエネルギーを建設的に使っているとも認識しています。

私にとって、親子関係壊滅の原因の1つはピアノですが、この自己制御力だけは授かって良かったと思っています。

そして、ピアノに関しては
父と母の関係の問題
私と父の関係の問題
私と母の関係の問題

各々の関係性の問題から生じたことでしょう。

ピアノ、45年~35年以上前のことですが、残念です。

私が「こんなのやめたい」と、素直に言えば良かったのかな。
私の1人相撲だったのだろうか。

もっと、父と話しをしたかった。

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