憎しみは人間の本質 憎しみは愛と表裏一体ではない
人を憎んではいけない。
許してあげなさい。
憎しみより愛を。
なんてことは書きません。
私は、憎しみは人間の本質だと考えています。
人は人に対して憎しみの感情を抱くものです。
しかし、アリに憎しみの感情を抱く人はあまりおられないのではないでしょうか。
なぜ、多くの人はアリに憎しみの感情を抱かないのか。
答えは明確で、私たちはアリに対して恐怖、不安を感じることはなく、アリは脅威の対象ではないからです。
しかし、人は人に対しては、憎しみの感情を抱くことは多々あります。
私もあります。
1 憎しみの感情 恐怖、不安そして怒りとともに
2 現代社会における憎しみの感情について 少し考えてみると
3 憎しみは人間の本質の意
憎しみの感情 恐怖、不安そして怒りとともに
さて、憎しみの事例として、太古の私達の生活を考えてみましょう。
太古の昔より私達は、集団で暮らしていました。
今でも、集団生活という言葉はありますが、太古の昔の集団とは、その集団の中で生きるという、運命共同体のようなものです。
そして、その運命共同体の集団を、部族と呼んでもいいのではないでしょうか。
部族は自分達のテリトリー(支配地)を持ち、テリトリーを守ることが、自分達の生きる道であったと考えます。
私達の先祖、太古の人達はテリトリー内で狩猟や農耕を行い、それによって、自分達部族の生活、生計を維持してきました。
しかし、もし、自分達のテリトリーに他の部族が侵入してくる予兆を感じたり、その事態が起これば、それは、自分達が生きる為の食糧等を奪われることにつながります。
したがって、侵入してこようとする他の部族に対しては、自分達のテリトリーが奪われないか等、不安、恐怖、脅威を感じつつ、同時に自分達の生命を脅かす対象として、怒りの炎が舞い上がり、やがては、怒りの炎が常に静かに燃え続ける、憎しみの感情が芽生えるような思います。
憎しみの背景には、まずは、自分達の生存を脅かす、不安、恐怖、脅威の対象が現れ、その対象に激しい敵対心より怒りの炎が舞い上がります、しかし、怒りの感情は激し過ぎ、長時間持続することは難しく、その変わりに、自分達を脅かす、敵対心を抱く相手を攻撃排除、打ち倒すための、長時間持続可能なエネルギー、憎しみの感情が誕生するのです。
整理すると、自分達を脅かす存在への恐怖、不安⇒その対象に対する闘う本能より怒り⇒しかし、すぐには闘えないことも多々あり、怒りは、静かに持続的に燃える憎しみのエネルギーと転換し、自分達を脅かす敵に対して、常に警戒感と攻撃心を抱き、いざとなれば、その憎しみのエネルギーは、激しい怒りのエネルギーを伴い、敵に襲いかかり、攻撃を開始するのです。
そして、冒頭の太古の集団、部族の話しに戻れば、他の部族の襲撃を感じた瞬間は、恐怖、不安、脅威を感じますが、自分達のテリトリーを守らなければと、生存の本能より怒りがわき立ち、憎しみの感情を抱きつつ、敵の襲撃に備え、または、攻撃に出るのです。
憎しみのエネルギーは、自己の生存を脅かす相手に対して発し、静かに燃え、行動すべき時を待ち、自己の生存を脅かす者の排除攻撃に移るのです。
自分達が生き延びるために。
憎しみとは自分達が生き延びるために必要な感情でもあるのです。
現代社会における憎しみの感情について 少し考えてみると
さて、現代の私達(先進国等)は他民族からの侵攻等で生存を脅かされることはありませんが、現代は現代で、自己の恐怖、脅威となる対象、または、何らかの形で自分を脅かす対象に対して、憎しみを抱くことは太古の昔と変わっていないでしょう。
例えば、職場における競争相手。
自分の地位、立場を脅かすもの。
また、無理難題を押し付け、時間を奪う逆らえない上司。
職場でなくても、自分に対して失礼な態度を取る人。
この場合は、自尊心が傷つけられ、また、いつ失礼なことを言ってくるか分からないことから、相手に不安、恐怖、怒りを感じることもあり、同時に、少し時間を置き、憎しみの感情も発生、その相手を潰してやろうと、反撃のチャンスをうかがっているかもしれません。
いずれにせよ、太古の生存競争なようなものではなく、自分を何らかの形で傷つけてくる、貶めてくる相手には、人は憎しみの感情を抱くものです。
また、強い優越感を抱く人は、自己の優越性を脅かす相手に敏感に反応し、自動反応的にその相手に怒りと憎しみを抱くこともあるでしょう。
(さらに、自分の大切な何かを奪う可能性のある者、または実際に奪った者に対しては、恐怖、不安、脅威だけではなく、悲しみと怒りを同時に抱く場合もあり、この事態からも憎しみは生じます)。
憎しみの感情は、自分を脅かす相手に対する、排除、攻撃のための淡々とした炎であり、いずれは、激しい怒りのエネルギーを伴い、その相手を、実際に非合法な手を使っても、攻撃排除(復讐)する事態を招く時があります。
あまりにも強い憎しみの感情に執着すると、憎しみと復讐の気持から、その感情は理不尽な「狂気」へと、変貌することもあるので注意が必要です。
憎しみは人間の本質の意
さて、誰でもが持つ憎しみの感情。
私は愛と憎しみは表裏一体とは思いません。
それは、憎しみが人間のみが持つ、本質感情の1つであると考えているからです。
愛とは本能的要素もあり、憎しみとは本質が違うように感じます。
愛は人間以外の動物でも本能として持っているように思います。
憎しみの感情というのは、自己の存在を脅かすと思われるものを長時間憎しみ、時を得て攻撃排除、また憎しみの感情とともに、復讐心を伴っていることが多いでしょう。
しかし、このような感情は人間独自のものではないでしょうか。
他の哺乳類等が、自己の生存を脅かす種に対して、生存本能より怒りの感情を抱き闘うことはありますが、憎しみの感情から、他の種を攻撃することはないでしょう。
また、復讐心も持たないように思います。
人間だけです。
憎しみが生じるためには、常に自己の存在、地位等を脅かす相手のことを考え続ける能力が必であり、その相手を攻撃するためにどうすれば良いか等、考え続け、憎しみを脳に定着させていきます。
相手を憎み続けるためには、憎しみの対象のために、自分の立場が脅かされていると認識、怒りとともに、「あいつさえいなければ」、「いかに反撃、復讐するか」等、日々、考え続ける思考力が必要なのです。
そして、考えれば、考えるほど、憎しみは増し、持続するのです。
したがって、憎しみとは、単なる恐怖、不安から感じる怒りとは違い、恐怖、不安となる対象に対して、様々な思いを巡らす、思考力、知性が必要なのです。
このようなことが出来るのは人間だけです。
人間の持つ思考力、知性だけです。
したがって、憎しみは人間の本質の1つではないかと書かせて頂きました。
さて、憎しみのエネルギーの扱いはやっかいですが、持続する憎しみは、怒りを伴って、社会変革へのパワーにもつながります。
憎しみ(集団がある対象に対して抱く憎しみ)から社会変革が生じたことは、人類の歴史上、多々あるのではないでしょうか。
また、現代の競争社会においては、自分の立場等を守るために、努力、学習を行うこともあり。
憎しみは、自己の地位保持、向上に向かって動く、エネルギー源ともなるでしょう。
したがって、憎しみを捨てましょう等、憎しみを負のエネルギーとは、私は捉えていません。
憎しみは私たちを進化させるエネルギーでもあるのです。
しかし、激しい憎しみのエネルギーに、人間らしさ、良心、良識が乗っ取られないように、取り扱いには注意が必要です。
さて、憎しみの発現については、様々な事態から生じます。
全てを考え書いていくと、大変なボリュームです。
今回は、憎しみの発現については、自分の何かを脅かす対象に抱くことに限定して書かせて頂きました。
最後に心理カウンセラーから憎しみの感情に対するアドバイス
自分が憎しみの感情を抱いている相手がいたとしたら、なぜ、自分はその相手に憎しみの感情を抱くのか。
その相手に脅威、不安、恐怖等の感情も同時に感じてはいないか、もし感じているとすれば、なぜ、その感情を感じているのか、もしかしたら、事態を認識する自己の考え方、捉え方を変えれば、その相手に脅威、不安、恐怖の感情を抱くこともなくなるかもしれません。
そして、同時に憎しみの気持ちも消えるかもしれません。
認知行動療法は有効でしょう。