行き過ぎた個人主義は利己主義となる

私は心理カウンセラーであり、政治、歴史、思想に疎い面もありますが、ここ最近、コロナ禍のヨーロッパ、アメリカ等の、個人主義には行き過ぎを感じる時があります。

個人主義の意をウィキペディアで調べると、国家や社会の権威を否定して個人の自由と権利を尊重する立場。
と、記載説明されています。

私も基本は個人主義者であり、自分の自由と権利は最大限尊重します。と、同時に義務も考え、果たそうとするでしょう。

さて、今のコロナ禍、日本では多くの人がマスク着用、ワクチン接種を進んで行っていますが、ヨーロッパ、アメリカ等はどうでしょうか?

ヨーロッパ、アメリカにおいては、マスクを着用、ウクチン接種を進んでする人もいれば、マスク着用もワクチン接種も、個人の自由であると主張、野外でもマスクをせず、堂々とされている人もいます。

この状況、日本人からみたら、どのような気持ちになるでしょうか。
日本では、マスクをしない人への注意を巡って、喧嘩も起こっています。

さて、ヨーロッパ、アメリカのコロナ禍における、マスク不着用、ワクチン未接種の行動は、個人主義の観点からすると、当然なのでしょう。
自分がどこで何をするかは自由であり、自分で決める権利があるのですから。

しかし、私にはこのヨーロッパ、アメリカの人々の理解出来ない振る舞いとしては、マスクをしていれば、コロナ感染の予防効果があり、さらに、ワクチンを接種していれば、さらに感染予防、感染しても重篤化が低くなるのに、なぜ、マスクもせず、ワクチンも接種しないのか不思議でならなのです。

自分の命を軽んじているのでしょうか。
自分が感染して、他者に新型コロナを移してしまう可能性、それは阻止しなければという他者配慮、良心はどうなっているのでしょうか。
新型コロナが蔓延、都市機能は麻痺、医療崩壊、結局、個人主義を振りかざし、自分、周囲の人、社会を麻痺させているだけにしかみえないのです。

社会が機能不全に陥っているのに、個人主義を叫んでも、何の利もないのではないでしょうか。

行き過ぎた個人主義は利己主義かもしれません。
利己主義は自分の利や権利しか考えず、他者の利や権利を軽んじます。

さて、現在のコロナ禍における、ヨーロッパ、アメリカの個人主義。
個人主義は国圧に屈しない、個人の自由と権利を大切なものとしていますが、現状は先にも書いた通り、マスクをしない、ワクチンを接種しない、個人の権利の遂行の結果、自分、自分の愛する家族、友人、周囲の人々、国内の様々な方に対する、活動、健康、命を損なう危機を招いています。

個人主義を謳う人々は、この現状を自分達の個人主義を遂行した選択の結果であることを認識しているのでしょうか。

そして、権利と並ぶ、義務。
この義務については、どのようにお考えなのでしょうか。

自己の権利ばかり主張して義務を考えない。
自分の権利優先主義の選択の結果を反省しない。

これらは、やはり、利己主義でしょう。
自分さえ良ければいいのです。
そして、利己主義者が集まり、集会、デモを起こし、さらに、新型コロナ感染者を増やしているように見えます。

さて、行き過ぎた個人主義は利己主義になると書いてきました。

では、日本はどうでしょうか。

日本も個人の自由と権利を一番とする側面もあると思いますが、同時に集団主義的な要素も感じます。

集団主義それじたいは問題ありません。
なぜなら、集団主義とは、全体の調和、協調性、他者配慮を大切にするからです。

私達日本国民は国に強制されなくても、マスクをして、進んでワクチンを接種します。
それは、自分が感染したくない、他人に移したくない思いからでしょう。
(特段、新型コロナに感染して、誰かに移しても、罰はありません)。

他者を重んじ、迷惑をかけまいとする日本人は、集団の調和を乱さない意識からきていると思いますが、これが、行き過ぎると、同調圧力となるのです。

新型コロナが流行した初期の頃を思い出してください。
新型コロナに感染した人を名指しでSNSで攻撃、または、仲間外れにしたり、いじめも起こっていたのではないでしょうか。

これらの現象は、様々な理由が個々人にあってのことでしょぅが、新型コロナに感染した者は、集団から外れたものと、悪という(間違った解釈ですが)、厳しい相互監視の基、叩かれたのでしょう。

他者配慮、他者を尊重出来る集団主義も、行き過ぎると、集団より簡単に仲間外れ、集団攻撃を行ってしまうのです。

個人主義、集団主義。
どちらも行き過ぎないことです。

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