笑う大切さ 笑わない・笑えない人の心理

「笑う門には福来る」。
また、笑いは私たちの免疫力を高めることで知られています。
また、その場にふさわしい笑いは、私たちの人間関係を良好なものにしてくれるでしょう。

このように、「笑う」「笑い」は、私たちにとって大切なものなのです。

さて、「笑わない人」。
ずっと、無表情、難しい顔等を常にされており、笑わない人はいます。
かつて私も、子供時~青年時までは、ほとんど笑わなかったと思います。
無表情、能面のような顔をしていたと思います。

では、笑わない人の心理とはどのようなものでしょうか。
考えられる心理を想定して書かせて頂きます。

但し、深刻な悩みを抱えておられる方、うつ症状の方等は、当然、今の心理的辛さ、心配等に思考、感覚が注意集中、エネルギー減より笑う余裕はないと推察いたしますので、この事については除外して書きます。

感情鈍化

常な悲観的、心が怒りで満ちている人、否定的、批判的に物事を見る人等は、人生において楽しみを見出すことが難しく、楽しい感情が鈍化してしまい、結果として、笑うことに結びつかないと思います。

彼らの興味、気持ちの方向性は一定方向に固定、固まってしまい、楽しい、楽しむことが、出来なくなってしまっているのでしょう。
笑う、楽しむことに対する、感情鈍化、同時に、生きていることに嫌気を感じられているのかもしれません。

また、自分や他者に厳し過ぎるあまり、批判心が強く、怒りの感情も激しく、楽しく反応する能力が鈍化してしまっているのかもしれません。

そして、笑うことに意味はないとまで、考えておられる方もおられるかもしれません。

感情の鈍化と書きましたが、楽しむこと、楽しいことに反応することに対して、感覚的に鈍化していますので、その根源である、柔軟な気持ちの持ち方(寛容性の回復)、思考の変容が、笑うことに対する感覚を取り戻す、このように考えられます。

感情制御 笑っている自分が好きではない

私は子供時から青年時まで、ほとんど笑わない子であったと思います。

その1つの原因は、子供時、私が楽しく笑っていると母が不機嫌そうに怒る反応を示したことが挙げられます。
また、私自身、機能不全家族の出ですので、家庭内において、常に自分を抑圧することが多く、喜怒哀楽の感情表出が出来なかったのだと思います。

加えて、自分が嫌いという感覚もありましたので、その嫌いな自分が笑っていることを、自分が自分に許可を出せず、楽しむことを親子関係、自分自身の決断より放棄、楽しむことに反応、笑うことを禁じたのだと思います。

本当は笑いたいけど、笑うことを堪えて過ごした時期があることを記憶しています。
笑っている自分を見られるのも嫌でした。

まさに、感情の制御と自己嫌悪の問題なのです。

感情を制御し続けると、本当に何も感じることが出来ない自分になることもできます。
自分を消すという感覚に近いものがあります。
この時は、私は完全に無表情、無感覚です。
(多分、今でもその術は持っていると思います)。

あまりにも意識的に感情制御をし続けますと、感情鈍化、感情麻痺につながる恐れもあり、危険です。

感情の制御からの回復には、自分が楽しむこと、好きなことをすることする、笑うことはOK、これらを自分に許すことからはじめるといいのではと、私の経験上思います。

また、笑うこと、楽しむこと等以外にも、禁じている感覚、感情があれば、それも出して良いと、自分に許可を与え、実際にそのように振る舞まっていけば、感情制御は外れていくと思います。

警戒 笑っていると人に付け込まれる

笑うことは、人間関係を築くために大切なことです。
笑顔、笑いは相手からの不信感、警戒感を払拭、自分自身も相手を許容した態度を示すことにつながります。

しかし、ここに問題が生じる時があります。

それは、笑顔、笑いの結果、自分自身、相手に対して許容、寛容性を増し、逆にそこに相手から踏み込まれる、付け込まれるリスクがあるということです。

簡潔に言えば、相手が詐欺師の場合、笑って、ニコニコ話しているうちに、油断が生じ、相手の土俵に乗ってしまい、騙される可能性があるということです。

これを書くと、誰も信用出来ないじゃないかと思われる方もおられるでしょうが。

大切なことは、付き合いの浅い人には、常に警戒感を持ちながらも、笑顔、笑って、ニコニコ接する。

ある意味、演技になりますが・・・。

そして、本当に相手を信頼出来ると確信されれば、このような警戒感は脱ぎ捨て、本音で話し、お互い笑い合いながら会話、付き合いを楽しめばいいのではと考えます。

もちろん、初対面において直感で、この人は信頼出来ると感じられるのでしたら、警戒感は無用かもしれませんが。

社交性の欠如

何が楽しいのか分からない。
なにがおかしいのか分からないのに、なぜ、笑わなければならない。
笑っている振り等、意味がないと仰る方もおられると思います。

実直なご意見です。

確かに、おもしろくもないのに、周囲が笑っているから、自分も笑う等、バカげている。
私は、その感覚、分かります。

しかし、笑わなくてもいいけど、周囲が笑っている時は、演技でニコニコしていてもいいのではないでしょうか。

そうしなければ、その場から、浮いた存在となってしまうのです。

おもしろくもないのに笑ってたまるか、ニコニコするのも邪魔くさい。
これを断言、実行してしまいますと、孤独な存在となりはしないでしょか・・・。

これは、社交術、社交性の問題ではないかと思います。

周囲の雰囲気を見て、自分もその輪の中に入りたいのであれば、周囲の真似をする。
同じような反応、行動を取っている人に対しては、人は仲間意識、親近感を持つものです。

社交性等不要と仰るのであれば、実直に己を貫けば良いかと思いますが
孤独、孤立の問題が生じ、辛い立場に追い込まれるかもしれません。

価値観の相違 何がおもしろいのか分からない

実は私は、今も笑いの少ない人間だと認識しています。
子供時~青年時までは、前述したように「感情制御」の問題があったのですが、今は、「感情制御」の問題というよりも、人が笑っていても、「何が楽しいのか分からない」ことが多々あります。

例えば、ユーチューバーという職種がありますが、彼らの、エンターティメイト系の動画を見ても、感覚的に否定が走り、理解出来ず、何も分かりません。

「何が楽しいのか分からい」と書きましたが・・・。

実は楽しみの価値観が違うのです。
楽しみ価値観、感覚は人様々違うのです。

私がよく見るテレビはNHK、テーマは「人の生き方在り方」であり、それ以外、「その時々の時事問題」、「心や脳について」等のテーマの番組を見ること。
そして、文章を書くことが好きです。

これらが私の楽しみであり、笑うという楽しみとは、また違うのです。

価値観の違いなのです。

しかし、そうは言っても、笑いは大切だと思います。

無理をしてでも笑っているだけで、豊かな気持ちになれるかもしれません。

人は楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ。
どこかで、聞いたような言葉ですが、この事案も事実存在するでしょう。

笑いには、抱えている悩みを忘れさせてくれる効果もあるのではないかと考えます。
また、前向きな気持ちもなるように感じます。

人生、笑って楽しんで過ごさないと、損をするかもしれませんね。

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