礼儀正しさと思いやり
礼儀正しい人。
まず、礼儀とは何か?
国語辞典によりますと、「他人との交渉を持つ時に、尽くすべき敬意表現と、超えてはならない言動の壁」。と記載されています。
他人との交渉とは、他人と接する時でしょう。
超えてはならない言動の壁とは、相手の年齢、立場、関係性によって、適切な言動があり、その年齢、立場、関係性による、言動の壁を越えてはならないということと解釈しました。
自分から見て立場の上と思われる方に対し、それなりの態度で接することが必要なのでしょう。
これが、礼儀だと思います。
また、礼儀は初対面の相手には強い印象を与えます。
第一印象において、人は人を見かけで判断します。
そして、判断した第一印象は、相手に強くインプットされ、覆すことが難しくなります。
⇒人は人を判断したい生き物です。そこには、用心の心理、自己防衛の心理もあるでしょう。
⇒また、傲慢さもあるかもしれません。まずは欠点をみつけてやろうとか・・・。
さて、礼儀がしかっかりしている、しっかりしていないかによって、人は判断されます。
最初が肝心とも言います。
礼儀がしっかりしておらず、初対面での印象が悪いと、後々その人との関係性は発展しないかもしれません。
最初の印象で、信頼出来ない人物等のカテゴリーに入ってしまうのです。
これを覆すには、相当な努力が必要です。
さて、それでは、礼儀正しくないと判断される言動とは、どのような状態のものなのでしょうか。
服装がいい加減(チャラい)、言葉遣いが滅茶苦茶、なれなれしい、自己PRがすさまじい等があげられます。
礼儀については、友達をつくる、年下と接する時等は、さほど礼儀を意識しなくても問題はないと思いますが、相手が、それ相応の人となると、話しは別です。
さて礼儀正しさとは、形です。
形であれば、誰でも習得可能と思います。
しかし、この習得を体得するには少し時間がかります。
しかし、本当に礼儀正しさが、人として重要かというと、必要ではありますが、それだけでは不十分です。
他者との交流において一番大切なこと、それは、思いやりではないでしょうか。
思いやりとは、相手の気持ちを理解、相手の気持ちに寄り添い(共感)、相手の気持ちを大切にして行動(言動)することです。
また、自分の言動が相手にどのような影響を与えているか、推し量ることも必要となります。
思いやりは、性格の一部です。
それは、生きてきた年月を通して、経験、学習、身に付けていくものです。
思いやりにも様々な形があると思いますが、思いやりの表現は、人様々です。
また、思いやりは、人生の経験を通して学ぶものであり、身に付けるのには、それなりの相当な時間がかかります。
思いやりの欠けている人とは、私たちはあまりお付き合いしたいとは思いません。
なぜなら、思いやりの欠けている人は、冷たい人、自分勝手な人だからです。
そのような人と、一緒に居たいと思う人は少ないのではないでしょうか。
さて、礼儀正しさと思いやり。
礼儀正しさは見た目であり、最初に接した感じ好印象を与えますが、礼儀正しさだけで、思いやりがない人との交流は長続きするでしょうか?
礼儀は正しいけど、固い、頑固、心が通わないと、交流が難しくなるかもしれません。
また、思いやりは深いけど、礼儀正しさが欠けている人は、人間関係の最初を築く段階で損をします。
とくに相手が目上と思われる方との接触においては、悪い印象を与えてしまうでしょう。
せっかく持っている、思いやりを発揮することもなく、関係性は終わるかもしれません。
こう考えると、私たちは常に礼儀正しさを意識して、時と場合によっては礼儀正しく振る舞い、そして、培った思いやりを大切に行動する。
このことが人間関係を築くために、意識することが大切であると思います。
礼儀正しさ⇒これを形とすれば
おそらく、マナー講師等に指導して頂ければ、その形は短時間で身に付くでしょう。
思いやり
相手のことを考える力、理解力、想像力、共感力、それらを示す行動力。
また、自分の言動が相手に与えることを考える想像力。
これらは、今までの人生経験により培われます。
思いやりのある人になるのには、それだけの経験と時間がかかるのです。