子供の友達が極端に少ないのは個性?障害?

昔からかもしれません。
友だちの数を競う、友人の数は多い程良い。
それは、自分の人気を表す、バロメーター。

さて、私は子供時より、友達は少ない方でした。
大学時代は1人で行動(ボッチ)。

ではなぜ、私は友達が少なかったのか、それは、親が厳しすぎ、家庭内、家の中において、心の安定が図れなかったのだと思います。
家庭内で心の安定が図かれないということは、家庭内に心が休まる場がなく、親の干渉等より、いつ、何を言われるか等、心の萎縮、不安、緊張を常に家庭内において感じ続けている状態であるのです。

家庭内に心の安定が図れない、心休まる場所がないということは、子供の心の核(中心)は常に不安が満ちており、それが心の根っことなり、学校進学時、知らない者同士の集団生活においても、常に心の不安定、不安、緊張、過剰反応が起こり、心が疲れるのです。そして、集団生活には馴染めないとなることにもなります。

また、上述の家庭においては、親子間のコミュニケーションが、ほぼ、親からの一方通行である場合も多いでしょう。
子供はコミュニケーションを通して、親に理解、分かってもらいたいのに、分かってもらえず、親に対して失望の気持ちを抱き、話す意欲も失せ、元気のない子となっていくこともあります。

また、子供にとっては、人生の初期である、家庭内で学ぶべき、コミュニケーション力を身に付けられず、その状態で、学校という集団に入るのですから、コミュニケーション面においては、他の子供より言葉数が少なく、当然、コミュニケーション力が学べていない不利な状態よりスタートし、また前述の心の不安を抱えている為、あまり話さない、おとなしい子となり、実際に周囲からもそう思われてしまうのです。

家、学校において、1日中、不安を抱え、心休まる場もないとするならば、幼い子供は、心、精神、共に疲れきってしまうでしょう。
慢性と不安と疲れより、朝起きる気力も出て来ないかもしれません。

このような場合、学校には行きたくないと、不登校になったとしても不思議ではないと思います。

また、家庭内においては、さほど問題はないのだけれど、学校に馴染めない子供もおられるでしょう。
授業が分からない、他の子達と仲良く出来ない、行動・感情を制御出来ない、運動能力の差、スマホの扱いの差等より、友達づくりが出来ない、または、いじめの対象となってしまう。

このような場合、その子供は、学校に行っても保健室で寝るか、早引きして、家でのんびり過ごす等して、自分の心を守る事を大切にされてもおかしくありません。

彼らの場合、共通している事は、学校において、友人が極端に少ないことではないでしょうか。
または、学校、クラスから浮いた存在であることでしょうか。
そして、学校に対して、辛い、恐ろしい、不安、つまらない気持ちを、多々感じ続けておられるのではないでしょうか。

しかし、彼らも、フリースクールや、自分の合う場が見つかれば、気心しれた友達も見つかり、友達の数も増えてくるかもしれません。

行く場を変える、環境を変えることによって、そこからの新しい経験より、人の行動、性格が変わることがあっても不思議ではありません。

さて、冒頭に書きました、親が過干渉等で、家に心が安定する居場所がない場合等は、親の子供に対する接し方を変えた方が、良いのではと思います。
これは、早期に改善することです。
そうしないと、後々、禍根を残すことになりかねません。

しかし、親子関係には問題はありませんが、なぜか学校に馴染めず、他の場所に移っても、友達が増えない場合等は、その子供が、コミュニケーションや、人間関係を築くために大切なスキルを、そもそも理解、獲得していないかもしれません。

この時、親や専門家は
これは子供の個性なのか、発達の遅滞なのか、もしくは、発達障害なのか、悩まれることでしょう。

発達障害。
私は精神科医ではないので、分からないことも多々あるのですが。

(発達の遅滞について:私が考えている発達遅滞であり、精神医学上の定義と異なるかもしれません。私が考える発達遅滞とは、先天的にもコミュケーション、相手の気持ちを察する能力等を司る、脳機能は正常でありますが、幼児期の親子関係等より、機能すべき脳の部位が動かず、後々の学習によって、もともと正常であるが機能していなかった脳の部位も動きだし、他者と遜色なく関わる能力等を身に付けることが出来る。社会性、コミュニケーション等、習得、獲得するのに、親子関係等の影響より、他の人の比べて時間がかってしまうことです。私がその例です)。

子供の幸せを考えた場合。
ほどほどの、人との付き合い方を学ぶこと。
これは大切です。
人間関係は人生に大きく影響します。
(ノリの良さが一番等の集団と付き合う必要はありません。ノリの良さなど、一般社会、仕事においては、さほどの問題にはならないからです。もっと書けば、休み時間はしゃいで、仕事の出来ない社員等は評価されません)。

しかし、1人を好む子供がおられるならば、今は、その子供にとって、1人の方が心地よいのでしょう。
(また、もし、子供が同年代の子供とは話すことが難しくても、大人(年上)に対しては、それなりに、対応をしているとなると、これは、子供の進歩が他の子供たちよりも早く、とてつもない才能を秘めているかもしれません。発達云々等問題にすることなく、その子供の個性を大切にされた方が、どれだけ子供にとって幸せなことでしょうか)。

子供の個性や、やりたい事をさせてあげて、その子の才能が開花することを、応援してあげることが、子供にとっても、親にとっても、将来の良き親子関係を築くこと、子供の幸せに大きく寄与するのではないでしょうか。

それでも、その子は友達がいない、もしくは、少ないかもしれません。

しかし、よくよく、考えてみてください。

生涯の友と呼べる人は、何人いますか?
その時々の都合で付き合っている人が、真の親友なのでしょうか?

そして、今、友達がいなくても、未来永劫、友達が出来ないとは限りません。

私は障害も個性の1つと捉え(もちろん、必要なケア、指導、SSTは必要ですが)、その子なりの、最善を尽くして生きる姿を応援してあげることが一番大切なのではないかと考えます。
(これは考えているだけで、私自身は福祉職ではないので、何のお手伝いも出来ませんが)。

心配なお気持ちも分かりますが。
心配のもとは不安。
不安が高じると、子供に対して、苛々、怒りへと、感情の転化が起きるかもしれません。
注意しましょう。

そして、子供の状態、将来が心配であれば、専門家、同じ悩みを持つ親同士の会、地域行政等に相談を行い、少しでも、気を楽にしていきましょう。

親の不安は子供に伝わります。
そして、自分の存在で親が悩んでいると感じ取った子供は、親に対して、不要な罪悪感を抱くかもしれません。

友人が少ないことが、そもそも問題として考えることが、良いのか、どうか、分かりません。
しかし、このことにおいて、内実、子供は、子供なりに苦労、悩んでおられるでしょう。
ただ、その苦労、苦しさを言語レベルにおいて、上手に発信出来ないのかもしれません。

子供の心の内を、聞いてあげましょう。

親の笑顔は、子供の笑顔を取り戻すことでしょう。
そして、生活スタイルが変わると、以外と潜在レベルの、才能、エネルギーも開花しはじめるかもしれません。

焦らないことです。

すべては、子供主体で。

そして、義務教育という名で招集される学校に適応出来なかったとしても、他の場で活動出来る場があれば、それは、それで、幸せなことではないでしょうか。

狭い枠の中での評価等、さほどのものではないと、私は私の人生の経験を通して、このように考えています。

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