兄弟間の比較 比較の弊害 優越と劣等感

子供時に親より兄弟間、姉妹間での比較が続き
低い評価を得続けますと
比較され、評価が低かった子供は
自己評価の低さの問題を抱えて成長します。

そして、大人になっても、人と自分を比較するクセを持ってしまいます。
無意識にでしょうが、何でも、自分と他者を比較する傾向があります。

しかし、結果としては、自己評価の低さから、自分が劣ってしまう方に
目を向けがちです。

客観的に考えると、自分にもいいところが沢山あるのですが
どうしても、自分を低く評価してしまうクセ。

そもそも、私たちにとって、人と自分を比較することじたい、無意味なのですが。
(しかし、比較が企業(組織)からの評価であれば、それは成果基準を基に評価されているので、企業勤めをしている方は受け入れるしかないでしょう)。

人としての自分を、他者と比較しても、意味はない。
自分と他者の比較は意味がない。

なぜなら、生まれた時の環境も違い、遺伝子レベルにおいて様々な
能力の優劣も違い、歩んできた人生も違い、脳そのものも違う。

他者との比較に意味はあるのでしょうか?
人として、その存在において、比較は可能なのでしょうか?

しかし、兄弟間等、身近な存在と常に比較され続けられ、
親からの評価が低かった子供は
どうしても、他者と自分を比較して、自己の優位点を探そうとする
傾向が高いのです。

これは兄弟間比較における、劣等感からくる、バランスを取る行為です。

しかし、残念なことに、そもそもの自己評価が低く
(子供時比較され続けた結果から、感覚的に学んだことです)
そのため、比較して落ち込んでしまう。
自分を責めてしまうのです。

結論は、他者との比較は、人として在ることにおいては無意味。
比較をやめること。

また、逆に過剰な比較心理は、勝つことにこだわる心理を生み
他者攻撃性に転換されることもあり
これは、これで、また常に勝たなければと、永遠の戦に
挑むことにつながり、生き辛さをもたらします。

兄弟間の比較、とくに幼児、子供時において、
親からの比較による評価は
子供に生き辛さをもたらします。

それに、そもそも、兄弟姉妹といっても
別人格、各々特徴を持った別の人間です。
何を基準として、比較するのでしょう?

それから、これは敏感な子供の問題でもあるのですが
子供は案外空気を読む、そして、自分中心に物事を捉える傾向があります。

したがって、兄弟間において、親の接する態度が微妙に違うだけでも
自分は評価が劣っている、認めてもらっていない等
勝手に思い込んでしまう傾向があります。

それだけ、子供は比較、評価に敏感なのです。

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