また来てや・・・こんなはずでは
「また来てや」。
私が聞いた父の最後の言葉でした。
父は子供の頃私に対して様々な押し付けをしてきました。
過保護、過干渉です。
私はその押し付けが嫌でした。
押し付けの中でも最悪のものがピアノです。
父は私にピアノを習わせました。
20時にはピアノの前に座って私に教え、毎週のレッスンにはついてきました。
これが小学生から中学2年生まで続きました。
私はピアノの練習は嫌いでしたが、父のためにと思い感情と意思を封殺して、鍵盤を抑え続けました。
そしてこの結果、中学生のある時より父に対する怒り(母に対してもあります)から、家庭内において会話をすることをやめたのです。
それは私の悲しみと怒りの決断の結果です。
父から様々な価値観、興味を押し付けられ、嫌々ピアノを練習をしていることを理解してくれない悲しみと怒り、そして父のために人生を奪われた悲しみと怒り、もうこれ以上父にのみ込まれたくないという怒りと決断です。
私は怒っていたのです。
今年2月、父は小細胞癌に冒されました。
何度か入退院を繰り返し、6月18日、再入院。
6月30日 父の見舞いのため、19時に病室へ。
少し話しました(詳細省略)。
帰り際父は「また来てや」と言って私を送りました。
7月 日 早朝父は天に召されました。
私の怒りや復讐心は数年前よりすでになくなっていました。
それは私がアダルトチルドレンである過去を受け入れ、その経験を活かして心理カウンセラーとして仕事をしているからです。
過去を受容すれば当然怒りや復讐心は消えていきます。
しかし会話についてはずっと会話をしておらず、それが私の習慣にもなっており、あまり父と話すことはありませんでした。
父は私との関係について「こんなはずではなかったのに」と思っていたと思います。
おそらく成長した私とお酒を一緒に飲んだりしたかったと思うのです。
でも、それは叶いませんでした(・・・何回か飲んだことはあります)。
私が怒っていたから。
父は私に対して嫌なことをやらせよう、押し付けようと思っていたのではないはずです。
でも父の私に対する執着は強すぎました。
子供の私はその執着のため、自分が父を悲しませてはいけないと感じ、父に対してビアノをやめたい等一切言うことはなく、されるがままにされてきたのです。
そして怒ったのです。
父は私に執着していました。言葉を変えると溺愛です。
でもこれが私を縛りつけました。
自由を奪われ、感情を奪われ、表現を奪われ、自信を獲得することが出来ず、生き辛い人生となりました。
でも父もまさかこのような結果になるとは思ってもいなかったでしょう。
成長した私とも懇親な関係でありたかったでしょう。
でも、それは叶わなかった。
時間の壁は埋まらなかった。
また、私は埋める努力をしませんでした。
今ふと思います・・・。
父は幸せだったのでしょうか。
あまり友人はいないようでした。
腰を悪くして晩年は家にいることが多かったようです。
分かち合う相手、本音で何でも言える相手は何人いたのかなと思います。
先日カウンセリングの帰り若い父母が小さな子供と遊んでいる光景を目にしました。
私にもこのような時があったのでしょうか。
あったと思います。
覚えてはいませんが。
私は父に対して確信していることがあります。
それは私がこの世に生を受けた時。
一番喜んでくれたのが父であるということ。