あなたが育てた子どもですよ 何が不満なのですか
先日電車に乗っていた時のことです。
ふと前の4人がけの席(対面)から女性の声が聞こえてきました。
「この子はもう高校なのに未だにきちっと挨拶も出来ないの、恥ずかしいわ、情けないわ」
すると、対面に座っている女性が応答して言いました。
「○○さん、これからですよ」。
声の方をよく見てみると中年の女性が2人、そして若い男性(息子でしょう)が座っています。
皆さんはこの車内での風景をどう思いますか?
高校生の息子を前にして母親が「恥ずかしいわ、情けないわ」と貶める。
私はこの母親はどういう感覚の持ち主なのだろうかと思いました。
一体前の女性に何を伝えたかったのでしょうか?
また、息子はどのような気持ちでそこに座っているのでしょうか?
私は息子の心理としては嫌な気持ちを我慢して座っているのか、または感情を閉鎖して何も感じまいとしているのか、どちらかだと思いました。
いずれにしても高校生の息子は自分を抑圧しているのです。
さてこの母親の言っている内容には大きな勘違いがあります。
母親は息子が挨拶も出来ないとなじっていますが、結論から書きますと挨拶を出来ない息子を育てたのは誰?ということなのです。
この車内での風景の通り息子は母の暴言に耐えています。
普通健全な精神の持ち主の高校
生なら、この母親の態度に怒りを表すのではないでしょうか。
でも、息子は耐えています。
そこから、常日頃から自分を抑圧して耐えているのではと考えられるのです。
そして、この母親は日頃から過干渉やしつけが厳しすぎるのではとも思いました。
子供の生きる力を奪うタイプの親です。
生きる力を奪われた子供は、大人になった際社会生活をするうえで自己表現等に難しさを感じて生きています。
そして、挨拶とは自己表現の1つなのです。
親から生きる力を奪われた人は最初の自己主張の挨拶すら難しいと感じる時が多々あります。
さて、この問題の本質は何でしょうか?
それは親が子供に対して日々干渉等を行うということです。
その結果子供が自己を抑圧して、他者との交わりの希薄さから自分を表現するスキルがつかず、自己表現の仕方(挨拶の仕方)が分からず、社会において自分を表現することに恐れを感じるのです。
ですから、母親は息子が挨拶が出来ないことに恥ずかしい、情けないと言っていますが、その息子をつくったのは自分自身であるという認識が必要なのです。
したがって息子が情けないのではなく、自分が情けないと思う子供を育てた、自分の子育てが一番情けなく恥ずかしいとなるわけです。
もちろん、この場合息子自身の成長の過程における挨拶を含めた社会性習得の努力について、努力が足らなかったのではないかと異論を唱えられる方もおられるかもしれません。
しかし人間関係を築くためには、自分を打ち出す自己表現が必要です。
自分を抑圧して自分を守るために自らの殻に閉じこもった状態では、人と結びつくことが出来ず、そこから学ぶ社会性も身につかず、挨拶すら出来ないとなってしまうのは必然の理なのです。
親は子供を育てます。
そして、生きる力、知恵を子供に伝えます。
しかし、親のタイプによっては子供から生きる力を奪い、生きる知恵を授けることはありません。
生きる知恵とは社会で生きるための知恵です。過干渉な親から自己を抑圧するという自己防衛の手段を学ぶことではありません。
この息子が母親の過剰な干渉により、家族の機能不全性から自己を抑圧して自己を発揮出来ず、生き辛さを抱えているとしたら、アダルトチルドレンです。
アダルトチルドレンの親は自分の育児が子供を歪めたという自覚が欠如していることが多々あります。
子供を親のつくった作品と書くと失礼かもしれませんが。
敢えて書きます。
「自分がつくった作品に対して、あなたは何を文句言っているのですか?」