媚びる喜び(自己卑下) と贈る喜び
媚びる喜び
媚びる。
媚びるとは何でしょうか?
新明解 国語辞典 三省堂によると
「媚を売る」。
自分をより有利に売り込もうという思い、相手が気に要るような言動をする。
と、記載されており、当然、相手とは、自分より力関係の上の者、権威者、そして、かつ、媚を売る、媚びることよって、自分に有利な利を得られる人物と想定されます。
媚びる喜びとは、卑屈な喜びとも言えるかもしれません。
さて、人とは他者に媚びることによって、喜びを得ることが出来るのでしょうか。
私は媚びる喜びも存在すると思います。
自分にとって利用価値のある人、自分の社会的立時を上げてくれる力(権力・権威)のある人等に、その相手を喜ばす言動を取り、相手がにこやかにしてくれいるのを見ると、自分の心の中にプラス1点を加え、媚びた、卑屈な満足感を得るのです。
ここまで書くとお分かりでしょうが、媚びる喜びを持つ人は、媚びる価値のある人に表面上、媚びて、自分を売り込んでいるわけですから、その相手に媚びる価値がなくなると、今までとはまったく違った態度を取ることも考えられます。
また、力ある人間に媚びる人とは、大概、打算的、自己卑下(劣等感)の気持ちも強く、本当は、自分が媚びていることじたい、内心は不快を感じているかもしれません。
その心の均衡を保つため、媚びている相手の悪口を、他の場で吹聴してみたりして、自分の心のバランスを保ち、それ以上に、媚びている相手より賢いのは自分だとばかりに(自分が利用しているに過ぎない等)、その媚びている人のいない場で、媚びている人の悪口を大いに語っているかもしれません。
自己卑下(劣等感)の強い人は、他者にどう思われようが、社会的ステータスを上げ、自分より社会的ステータスが下と思われる人に対して優越感を持ち、自分が抱く自己卑下(劣等感)の気持ちをの埋め合わせたいと、無意識の願望のようなものがある人もいるのです。
媚びる喜び。
自分の本心を騙した、偽の喜びであり、卑屈で腹黒い人間の常套手段ではないでしょうか。
自分では気付いてはいないのでしょうが、媚びる行為は周囲の人の目に留り、周囲の人はその姿に不快を感じるものです。
なぜ、あの人は媚びているのか、その浅薄さも簡単に見分けられる。
また、媚びている人の悪口等、吹聴していては、人としての信頼も得られないでしょう。
媚びる喜びの人には、近づかない、適当にやり過ごすことが一番かと思います。
関わるとややこしい。
贈る喜び
誰かに嬉しくなってほしい、喜んでほしい、そのような気持ちから出る、言葉、態度。
そこには、相手に嬉しくなって欲しい、元気になって欲しい等、純粋な他者承認と思いやりの気持ちがあると思います。
自分が発した言葉等で、元気がなさそうな人が笑顔になってくれると、嬉しいものです。
そして、贈った見返りは求めません。
贈る喜びとは、少し元気がない、エネルギー不足の人に活力を与えたり、人間関係をよりよくする為には有効です。
贈る喜び
その相手の為を真摯に思い、心から出る言動は、相手を喜ばせ、同時に自分にも、喜びを贈っているのです。
詐欺が横行、利ばかりをもとめる現代社会、SNS等に活用においけるストレス、返信は数分以内等無言の圧力化が進む社会においては、人を思いやることは難しい社会風潮になっているようにも感じます。
自己主義の蔓延する世の中、少しでも媚びる喜びではなく、利他主義に基づく、贈る喜びを大切にしたいですね。