人生の冒険その意義
あなたは冒険をすることにより自分の足場をしばらく失うかもしれない。
しかし、冒険をしないと人生を失うかもしれない。
~~~by キルケゴール~~~
私たちが成長して進化するためには、人生の冒険を必要とする時があります。
賢人キルケゴールはその本質を見事に語っています。
さて、この人生の冒険とは何でしょうか。
私の思う人生の冒険とは、不安を超えて前進をすることです。
そして不安を超えるとは、執着を手放すことと言葉を換えることができます。
執着を手放すとは、今私たちがしがみついている何かを手放すということです。
「何かにしがみつく」「何かを手放す」
この「何か」とは何でしょうか?
それは不安と向き合わないための「何か」なのではないでしょうか。
すなわち「何か」を手放すと、不安と向き合うことになるのです。
しかし逆説的ですが、その何かにしがみ続けることにより、今、生き辛さを感じたり、何かを失ったり、可能性を放棄したりと、その何かに執着し続けることじたいが私たちの生き辛さの根源であることも多々あるのです。
では、「何か」にしがみつく具体例をあげてみましょう。
1 対人不安の人がひきこもること、家にいることにしがみつく。
⇒人と会う不安に向き合うことを避けています。
⇒ひきこもることによる自己価値低下、現実適応出来ない辛さを感じ続けます。
⇒社会適応出来ないことにより人生を失うかもしれません。
2 人からの頼みごとを断らないことにしがみつく。
⇒断ることにより人から嫌われるのではないかという不安と向き合うこと避けています。
⇒断れないことから何でも引き受けてしまい、様々な重荷を背負います。
⇒健康を損ねたり、怒りを溜め込んだり、人間関係を壊したりと無理をしているのでよいことがありません。
3 恋愛にしがみつく
⇒別れて1人ぼっちになる不安を避けています。
⇒相手に執拗にメールをしたり、執拗に策を講じてしがみつこうとします。
⇒相手からはうんざりされ、破局の時期を早めます。
4 やりがいのない仕事にしがみつく。
⇒退職することにより収入を失う不安を避けています。
⇒人生の無意味を感じ続けます。
⇒真の自己の力を発揮する場を失うかもしれません。
このように「何か」にしがみつく、執着をするということは、起こるべく将来の不安と向き合うことを避けるということでもあるのです。
今の「何か」にしがみ続ける限り不安とは向き合うことなく心は安定しているようですが、実際にはその結果生き辛さを感じ続け、希望を失い、そして人生を失うことにもつながるのです。
私たちは執着を手放さない限り、前進出来ないことが多々あります。
執着を手放すことにより、しがみついている「何か」(生き辛いけれども安全な居場所)を失うことはあるでしょう。
ひきこもりの人が外に出る、頼みごとを断れない人が頼みごとを断る、恋愛依存者が恋愛を終わらせる、やりがいのない仕事を続けている人が会社を辞める。
各々不安に直面することでしょう。
しかし今まで避けていた不安に直面することにより、問題の本質を探る機会を得て成長したり、新しい何かに出合いチャンスを得たりと、執着を手放すことにより新たな「何か」を得て人生が開けることも多々あるのです。
そして執着を手放す、前へ進むためにその一歩を踏み出す行動は人様々だと思います。
それは人が抱えている問題が各々違うからです。
どのようなことでもいいのです、新しい何かにチャレンジすることにより、新しい自分や可能性を発見することが出来るのです。
執着を手放すこと、冒険をすることにより、戸惑い、不安を感じ、今までの安全な居場所・足場(しかし生き辛い)をしばらく失うかもしれません。
しかし、その後人は新しい「何か」を得ることにより、次のステージへと進むことが出来るのです。
動かないと何もはじまりません。
そして、冒険をしないと人生を失うかもしれないのです。