時について-1 過去(歴史的事実と個人的真実)

皆さんは時間に関してどのように感じておられますか。
あまりにも人の一生は長いので、時間も永遠に続くと感じてしまい、時間について考えることはあまりないかもしれません。
特に若い方にとってはこの傾向は顕著でしょう。

さて、時間を時と読み替えてみましょう。
私は時とは過去、現在、未来の3つのステ-ジに分けられると思っています。
この考え方は一般的なものですので、誰にでもすんなりと受け入れられるものではないでしょうか。

では、この3つのステ-ジを少しばかり見ていきたいと思います。

まず過去です。
過去とは何でしょうか。過ぎ去った遠い昔のことでしょうか。
私は過去とは、私たちの体験の有無により2つに大別出来ると思います。
それは、自分がかかわった過去か、かかわっていない過去かによってです。

では、自分がかかわった過去、かかわっていない過去の判断基準は何でしょうか。

それは私たちが、過去その出来事の体験を通して、何らかの影響を受けたかどうかです。
(ここでいう過去の体験とは、昔、当時の私たちが体験をしたことを指します。したがって、何千年も昔のように、私たちが生きていない過去の出来事は指しません)。

そして、過去の出来事の体験からくる影響は2つあります。

1 直接的に体験して影響を受ける場合
これは私たちの生きていく過程において直接体験するものです。例えば親子関係、学校での体験、会社での体験、様々な体験から影響を受けます。生きている限り様々な体験をしてそこから様々な影響を受けます。

2 間接的に体験をして影響を受ける場合
出来事を起こしている当事者ではないが、その出来事を見る、聞く、知ることから影響を受ける場合です。

今、北京オリンピックがテレビで実況中継されています。日本人が金メダルを取る瞬間を見て感動して、自分も今している仕事を頑張ろうと決意する。
また、交通事故のニュースを見たことにより、車を運転することが恐くなり、車を運転することが出来なくなった。

このように、自分は直接体験していないのだけれども、間接的に見る、聞く、知ることにより、何らかの影響を受けるのです。

さて、過去について、その体験したことから影響があるかどうかによって分けてみました。
では過去とはどこ存在するのでしょうか。
過去をどのように定義すれば良いのでしょうか。

私は過去とは真実だと思います。

この真実にも大別すると2つあります。

1つは歴史的真実です。関が原の戦い、第2次世界大戦、A選手がオリンピックで金メダルを取ったこと、車の事故。これらは実際に事実として起こったことです。この真実は消すこと、修正することが出来ません。

そして、もう1つ。
それは、私たちの個人的真実です。
個人的真実とは、それを体験した本人がいかにその体験を感じるか、思うか、記憶するかです。

個人が直接的にせよ、間接的にせよ体験をして影響を受ける場合は、その過去は個人的真実に基づいています。
例えば直接的に体験をする親子関係の場合ですが、同じ体験を共有しているはずの親と子でも、その体験をいかに感じるかは様々です。

心理カウンセリングの世界においても、子は親からひどい暴言を吐かれ傷ついたと思っていますが、もう一方の当事者である親は、暴言を吐いた記憶はなく、励ましたと思っています。

また、些細なことでは電車の到着時刻が遅れた場合でも、人によってはイライラして怒り次の日まで持ち越すかもしれませんが、別の人は何とも感じていないこともあります。

どちらの言い分が正しいか、どうかではなく、その体験をどう受けとめるか。
これが問題です。

それから間接的に体験をする場合ですが、これも起こった出来事を見て、聞き、知ったとしても、人各々反応は様々でしょう。

オリンピックでA選手が金メダルを取ったのを生放送で見て感動する人もいれば、「フ-ン」で終わる人もいます。まったく興味を示さない人もいるのです。

間接的に体験して影響が生じるには、その出来事における当事者以外の人が、その事実を見て、聞き、知り、いかに反応するかによって大きく異なるのです。

その事実を知ったとしても、何の反応もしない人にとってはその事実は歴史的真実と記憶されますが、何らかの反応をした人にとっては、何らかの体験をしたという個人的真実でもあるのです。

このように、直接的であれ間接的であれ、その時その出来事、体験をいかに感じたか、理解したか、反応したかによって、過去の体験の人生に対する影響は変わってくるのです。

そして、私たちに影響する過去とは個人的真実に基づくものなのです。

では、個人的真実とはどこにあるのでしょうか。
それは、私たちの記憶の世界に存在します。

この記憶の世界は体験した出来事をいかに思ったか等、主観に彩られています。
主観ということは客観ではありませんので、出来事に対する見方や判断は変更可能なのです。

したがって、過去体験した出来事に対する主観の観点を変更、見方や解釈を変更することにより、歴史的真実は変えられませんが、個人的真実は変えられるのです。

それは、過去の出来事に対する見方が変わることにより解釈も変わり、その出来事に対する意味づけも変えることが出来、その結果出来事に対する感情、思いも変更することが出来るのです。

カウンセリングにおいても、過去をいかに見るかによって、それが生き辛さの原因になったり、生き辛さからの脱却につながることがあります。

したがって個人的真実とは可逆性を持った、私たち1人1人が保存しているものとなります。

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