共依存
「共依存」は「コ・ディペンデンス」の訳語である。〈中略〉アルコ−ル依存症者には、それを支える配偶者が必ずいるという臨床経験から始まった。配偶者である妻は、アルコ−ル依存症の夫の「世話焼き妻」であり、アルコ−ル依存症の「支え手」である。
「共依存」は、アダルトチルドレンと違って、依存症者との間に、配偶者や家族のような「他者」の存在が必要なのである。〈中略〉「共依存」もアダルトチルドレン同様に、「アルコ−ル依存症」のない「機能不全家族」の家族にも拡大されるようになっていった。
また、「コ・ディペンデンス」の「コ」には「相互操作」の意味が含まれている。
参考文献
アダルトチルドレンと共依存
緒方 明著 誠信書房
私は共依存者につきましても、基本的にアダルトチルドレンであると思っています。
アダルトチルドレンの問題根源の1つは、得たいのしれない漠然とした不安感や空虚感です。
それらは、機能不全家族関係より1人の人間として個の獲得、及び自己信頼感獲得の失敗からきているものです。
これら漠然とした不安感や空虚感に対してどのように対応するかによって、共依存か否かの判断が出来ると思います。
まず、常に漠然とした不安感や空虚感を抱えたまま社会生活を送ったとしたら、人はどうなるでしょう。
何をしても満たされない、生きている実感がしない、達成感を味わえない、自分が分からない、何がしたいか分からない、生きている意味が分からないと自己存在の不透明さにつながります。
したがって、これら不感安や空虚感からくる不透明な自己感覚、自己価値を何かで満たしたい、払拭したいという充足欲求が自然と起こってくるのです。
そして、その充足欲求の満たし方は人それぞれです。
以下はアダルトチルドレンが何に委ねて、漠然とした不安感や空虚感を満たすのか、その方法について書いてみました。(これらの方法はアダルトチルドレンではなくても、通常行使されています。ただ、アダルトチルドレンは過剰にその方法で自身を満たそうとするところが問題なのです)
1 所有欲
物質を持つことは自己の満足を図り、かつ、最先端の物質を持つことによる優越を感じることが出来るでしょう。これは経済国家の特権です。但し、物質は持ってしまうとそれが当たり前となり、満足化の刺激は一時的なもので終わってしまいます、したがって次から次へと物質で満たさないといけなくなるのです。
私も空虚感に覆われていたサラリ−マン時代、無用に車を買い替えたり、カ−ナビが出るたびに買い替えたりと、無駄にお金を使いました。実際に車に乗ることもあまりなく、カ−ナビを使うこともなかったのですが。
2 熱中する
何かに熱中することにより不安感や空虚感を払拭します。仕事や趣味様々です。ほどほどの熱中であれば何の問題もありません。人生に有益でしょう。
但し、度を越してしまうと大変です。
3 感覚を感じる、または麻痺させる
感覚として考えられることは、スポ−ツ等の体を動かすことから得られる体感覚、性欲刺激の体感覚満足が代表です。体を動かすことによって体が喜び、体感覚による刺激の獲得は普段の虚しさを払拭して、生きている喜びを感じさせてくれます。心と体は「心身一体」この言葉通り互いに影響しています。体を動かすことは心の問題にプラスの影響を与えます。
但し、これも過剰な運動には要注意です。また、ギャンブルに熱中しての脳内物質分泌による快感、酒で酔っ払うことによる快感、薬物による中毒等は現実の虚無感を麻痺させてくれます。あまり感心はしませんが。
4 他者に自己価値を委ねる
自身の漠然とした不安感、虚無感を他者に集中することで満たそうとします。恋愛、夫婦、子供等への依存が代表です。常に他者とのつながりを確認してみたり、他者をコントロ−ルしようとしてみたり、他者を自分に振り向かせようとしたり、他者に対して自分の価値を植え付けようと必死です。
通常の育てられ方をされてきた人は個が確立されており、自分と他者との境界を大切にして人とのつながりを楽しみます。しかし、アダルトチルドレンは自身の個の安定のために、他者との過剰なつながりが必要なのです。そして、このタイプが共依存なのです。
緒方氏の上例、アルコ−ル依存症の「世話焼き妻」は、アルコ−ル依存の夫の世話をすることによって、存在の希薄な自己価値を満たしているのです。
このように共依存は常に他者を何とかしようと、そのことばかりで頭が一杯なのです。
自分に専念するのではなく、他者に専念することによって、自己の漠然とした不安感、虚無感を満たそうとするのです。
緒方 明氏は言います。アダルトチルドレンが個人の内面に焦点を当てるのに反して、共依存は他者(夫婦関係・家族関係)の人間関係に焦点を当てていることが注目すべき点であると。