その場にふさわしい、自己表現が出来なかった子供時
悔しがる場でニタニタしていた
私はよくニタニタするなと、小学校の先生から怒られたことがあります。
家ではニタニタすることはなかったのですが。
ニタニタとは、笑うべきところではないにも関わらずヘラヘラ笑っていることです。
体育の授業でミスをした時、本来は悔しいという表現を出来る子供は、それなりの態度、表情でそのことを表現します。
先生も周りも、その子の表現を見て、納得します。
しかし、私の場合は失敗した時、しまったと思い、感じてはいるのですが、それをどのように表現していいのか分からなったのです。
(体育でのミス等、どうでもいいこと、と思っていた節もありますが)
したがって、どう表現していいのか分からず、笑ってごまかすというか、ニタニタしていたのです。
ニタニタしていたのは、特段、何かがおもしろいわけではなく、ただ、その時、その場にふさわしい自己表現が分からなかったのです。
自己表現が分からなかったのは、子供時の親子関係、養育環境に根があるのですが・・・。
父親参観 父に対する罪悪感
日曜日、小学生低学年時、父親参観日がありました。
私の父も参観に来ていました。
しかし、うっかりしていたのでしょう。
算数の教科書を持って行くのを忘れ、隣の子に教科書を見せて頂き授業を受けていました。
家に帰ると父はすでに帰宅しており、母と何か話していました。
何を話していたのかは知りません。
私は父に申し訳ないことをしたという気持ちで居たたまれず、しかし、何をどうして良いか分からず・・・。
小雨の降る中、砂場で砂を触っていました。
その私を見て、父がどう思ったのかは分かりません。
「恥をかかしてご免なさい」と言えれば、良かったのですが
小学生低学年、適切な表現も分からず、その気持ちをごまかすために、小雨の中、砂場に居るしかなかったのです。
私は子供時から、その時、その場にふさわしい、適切な自己表現が出来ていません。
気持ちはあるのですが、その気持ちをどう表現してよいのか分からなかったのです。
そして、時が進み、青年へとなるにつれ、やがては、すべて無表情という表現を選択するでした。